筆者はもともと記者出身なので、簡潔で論理的な文章を書く基本的なトレーニングを受けています。したがって、筆者が書く文章は、決して美文ではありませんが、少なくとも簡潔で明瞭にはなっているはずです。

実際、筆者が書いた文章は、大学や大学院の入学試験や公務員試験などによく取り上げられます。公的な試験に用いられる文章は、不明瞭だったり文法の誤りがあるものは絶対に採用されませんから、この基準は間違いなくクリアしていると判断してよいでしょう。

 

ところが筆者の記事や書籍に対するSNSやコメント欄などの反応を見ると、一定数、「何を言っているのか分からない」「文章がメチャクチャ」「文体がおかしい」という批判や「こんな変な日本語を書くのは日本人ではない」など誹謗中傷に近い投稿も見受けられます。

 

これは筆者の意見が気に入らない、ということへの反応という部分も大きいのだと思いますが、その矛先が文章にも向かっているわけですから、一部の人は本当に筆者の文章がよく理解できない状態なのだと考えられます(こうした批判をしている人の中には、いわゆる偏差値が高い大学の出身者もかなり含まれています)。
試験問題に掲載されるような、ある意味では明瞭さしか取り柄がない文章を書いているにもかかわらず、「文章がおかしい」という反応が出てくる理由はやはりネットの普及でしょう。

これまでの時代は、人の目に触れる文章は、基本的にメディアだけが出していましたから、文法や論理性のチェックをある程度、受けたものばかりです。

ところがネット社会に移行したことによって、個人の文章がそのまま世の中に流通するようになり、読書習慣がない人にとっては、ネットで飛び交う文章こそが唯一の文章体験となっています。当然、こうした人たちにとっての標準的な文章というのは、従来とはだいぶ違ったものになっていると考えられます。つまり、従来基準で言うところの明瞭な文章を書いたからといって100%相手に伝わるとは限らないのです。

仕事での話ですから、まずは簡潔で明瞭な文章を書くことが大事ですが、場合によっては、ある程度、感情を優先した表現をしないと、相手には伝わらない可能性があることについても、考慮に入れておく必要があるでしょう。


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