14万部を超えるベストセラー『考えない台所』の著者である、料理研究家の高木ゑみさん(35歳)。東京・中目黒の予約の取れない「ガルシェフ料理塾」を主宰し、松岡修造張りの熱血指導で知られています。
ゑみさんは8歳の男の子を持つシングルマザー、そして目下、全力で末期がんと闘っているのです。

 

高木ゑみ 料理研究家・台所改善コンサルタント。1985年、東京都生まれ。イギリス、オーストリア、アメリカへの留学で世界各国の料理に出会い、大学在学中から様々なレストランで調理を学ぶ。マカロン由香さんの料理教室、出張料理アシスタントを務める。料理教室「ガルシェフ料理塾」を主宰しながら、メニュー・商品開発、出張料理、企業とのタイアップなども精力的に行う。著書に『考えない台所』など。
ブログ:https://ameblo.jp/laterier-de-emi/
インスタグラム:https://www.instagram.com/emi.takagi/

 


「それまで病気ひとつしたことがなかったものですから、病名を知って『え~っ』と驚きはしたものの、いきなり末期がんだなんて、なかなか経験できないことではないですか。
ああ、これでまた、私の人生にネタが一つ増えた。私はこれをバネにして生きてやろうと思ったんです」

ゑみさんの“ゑ”は、「ほほ笑み」のゑだそうですが、ほほ笑みというより、ケラケラと笑い飛ばしながら話します。華奢なカラダに似合わず、やることが豪快でもあります。いきなり、
「私ね、実はウィッグなんですよ、ほら見て!」
ショートヘアのウィッグをスポッと外してみせました。後頭部の髪が極端なツーブロックになっています。放射線を当てた部分の毛が抜け落ちたのです。

 

肺がんの宣告を受けたのは昨年10月26日。気持ちは揺れ動いたものの、「がんだとわかって、むしろ、ありがとう。私はツイている」という思いになったといいます。それは、決して無理に自分にそう言い聞かせているわけではないのです。どうしてそんなにスーパーポジティブでいられるのでしょうか──。その半生を紐解きます。

──子どもの頃からおいしいものばかり食べていたのではないですか?

高木 実家は裕福で、兄が3人いて、私は末っ子。ぬくぬくと甘い汁を吸って育ちました(笑)。学校も幼稚舎から慶應義塾で、大学までエスカレーターですから受験勉強さえしていません。

確かに、食べることが大好きで、中学生になると作ることにも興味を持ち始め、有名シェフの料理本を読み漁ったり、自分でクッキーを焼いてきれいにラッピングして友だちにプレゼントしたりしていたんですよ。

高校の終わりにイギリスに短期留学したとき、学生寮にはいろいろな国の留学生がいました。私が肉じゃがを作って出すと、みんなが「おいしい!」と喜んでくれて、お互いにまだ英語がそんなに話せないのに、打ち解けることができたんです。

そこで、おいしいものはみんなを笑顔にするということ、料理は言葉や文化の壁を軽々と超えて人と人との距離を縮められる、ということを知ったわけです。これが、「私は将来、食にまつわる仕事がしたいな」と思った瞬間です。

大学時代、講義の合間を縫っては料理教室を片っ端から制覇するという料理教室マニアと化していました。ランチも学食ではなく料理教室です。出張料理人の教室ではアシスタントを務めるまでになりました。

ちょっと大学の授業が退屈なときは、自分が小料理屋を開くことを夢想しながら「夢ノート」をつけるんです。メニューをあれこれ考えたり、お店の名前を考えたり。ちなみに、店名候補の一つが今、息子の名前になっています(笑)。

──大学卒業と同時に本格的に料理の道に?

高木 包丁の研ぎ方を習ったり、舌で塩分濃度を判定できるようにトレーニングしたり。和食、フレンチ、イタリアン、中華の厨房で働き、実地で学びました。カキのことを知りたくて、オイスターバーでも修業させていただいたんですよ。こうして知りたいことを一つひとつ学び、クリアしていくのは至上の喜びで、私はアドレナリンが出まくっていたと思います。

24歳のとき、ガールズシェフを略した「ガルシェフ」を名乗り、料理教室を始めたんですが、当初はホームパーティーを想定したおもてなし料理に特化していました。キラッキラのテーブルセッティングやお料理に合うワイン選びなども盛り込んだんです。

ですが、25歳で結婚して子どもが生まれると、私の考え方が変わってきました。というのも、パーティの翌日は日常に戻る。普段の料理で余った食材を使い切らなくてはならないという現実が待っているのです。
そもそも、おもてなしの準備のし方ひとつをとっても、子どもがいないときといるときでは、かけられる時間からしてまったく違います。

そこで、メインの料理を焼いたり煮込んだりしながら、刻んで和えたりして翌日のおかずもつくってしまう。絶対に食材を余らせないように、多いときは18品も作るという、そんな大忙しの教室になりました。
私はひたすらしゃべり倒し、生徒さんたちはメモをとるのに必死という熱血塾です。
 

【写真】高木さんの華やかな料理、そして仕事風景
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