西川美和監督、5年ぶりの新作映画『すばらしき世界』では、学生時代から憧れ続けた役所広司さんを主演にキャスティング。役所さんも「いつか西川監督とご一緒したいと思っていた」と語る、相思相愛の二人が世に送り出す『すばらしき世界』とは? 

 


“すばらしき世界”という大きすぎるタイトルに自信が持てた瞬間


西川美和監督(以下、西川監督):役所さんって、言葉では言い表せない部分への解釈が深いんですよね。クランクイン前に言い回しみたいなことはすり合わせましたが、現場では、それ以外に補足することがなにもない。キャメラから表情が見えづらいからちょっと向き変えて下さいとか、そのくらい。よくありがちな「本番では段取りと違うことして驚かそう」みたいなこともされない、駆け引きなしに私達が求めていたところに連れて行ってくれる。あとはそれを撮るだけ。初めてご一緒した若いスタッフたちもすごく喜んでいましたね。「これがお芝居を撮るってことなんだなって思いました」って。私もいい思いをさせていただきました。どの場面もどの場面も「さすが……!」というシーンの繰り返しで……。

役所広司さん(以下、役所さん):後ろ向いてるシーンとか?(笑)

西川監督:仲野太賀くんとの場面でカップラーメン投げる、役所さんもいいシーンだって言ってくださったあの場面は、本当に撮っていて幸せでしたよね。最後はカメラに背中向けちゃう、表情も見えないんだけど、その背中にじわじわ寄っていく時の幸せと言ったらなかったですね。これで伝わってるんだなっていう。

 

役所さん:演じる前にはとにかく脚本を読み、いわゆる行間にある監督の思いを想像するんですが、一生懸命考えると伝わってくるものはあります。西川監督、この男のことが好きなのかなって思いました。考えてみると西川作品はいつも犯罪がらみだし(笑)、そういう、人生を踏み外してしまった人やそのあり方が、面白いと思うんでしょうね。

西川監督:主人公は「もうそっちの世界には戻らない」と心に決めて出所するけど、いざ出てみるといろんなシステムが変わっていて「浦島太郎状態」なんです。30年前に書かれた原作では、昔のヤクザ仲間のところに戻ってしまう。そっちならもう一度やり直せる可能性があった時代で、それがひとつの救いでもあります。でも今ではそっちの世界が「反社」として絶滅危惧状態で、行き場がまったくない。でもそんな救いのない現実をそのまま描くより、原作にもあった周囲との関係性ーー片手にすら満たない数だし、向こうの都合で冷たくされることもあるけれどーーによって、主人公が人生の暖かさを実感する姿を、観てもらいたいなと思ったんですよね。

映画『すばらしき世界』メイキングより。©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会

役所さん:善意の人たちがたくさん出てきますよね。舞台設定がちょっと下町っぽいのも救いで、三上と仲良くなる六角精児さんが演じるスーパーの店主なんて、都心だったらいまどきいない、すごく人のいいお節介焼きで。でもそういう人たちも全部が全部、単純な善意の人かというとそうじゃない。三上にしたって「前科者なんだから、もう少しおとなしくしてろよ」と思うんだけど(笑)、そうはならない。人間としてリアリティがあり、互いに触れ合うことで、なんとなく親身になっていくところも面白いし、希望にも繋がる。

西川監督:“すばらしき世界”というタイトルも、候補としては当初からすでにあったんです。でもすごく小さな話なのに、こんな大風呂敷広げるようなデカいタイトルつけていいのか、撮影前は確信が持てなかったんですよね。

役所さん:確か撮影期間中に、それまでの撮影分を粗くつないだものをご覧になり、「『すばらしき世界』でいけそうな気がする」って、発表されてましたよね。

西川監督:「すばらしさ」がきちんと描けている、「世界って悪くないな」と思えたので。これならイケるなと。

役所さん:原作のタイトル『身分帳』だと「岡っ引きが出てきそうな気がする」っておっしゃってましたしね(笑)。


「戻ってきた人たち」が、やり直せない日本社会


西川監督:今回、かつてヤクザの世界にいた人や元受刑者、彼らを預かる刑務所や福祉関係の人たちにリサーチしたんですが、みんなが「この社会では、なかなかやり直しが効かない」と口をそろえるんです。彼らの置かれる状況は、原作の時代より現在のほうがずっとシビアだと実感しました。
正直、私はそういうことを考えたこともなかったし、隣人が元受刑者という状況も多分経験していない。誰しも「そういうのって、なんかイヤだし怖いよね」っていうのが、基本ベースにあると思います。でも考えたら、あたり前のことなんですよね、そういう人たちがじきに私たちの社会に戻ってくることって。

映画『すばらしき世界』より。©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会

役所さん:確かに考えてみたら、ニュースを見れば毎日のように殺人事件があるし、親に捨てられた子供もいっぱいいる。そういう人たちが刑務所から出てきたり、大人になったりしている。僕たちが知らないだけで、世の中はそういう人達だらけなのかもしれないし、ほんとにどうやって生きているんだろうと思いますよね。

西川監督:でも世の中の関心事の枠外にある、誰からも見放されたようなテーマに、多くの人から興味や共感を持って観てもらうにはどうしたらいいか。そこはすごく悩みましたね。原作者の佐木隆三さんは、「人を感動させよう」「起承転結をつけよう」として陥る物語的ご都合主義を拒み、良いところも悪いところもそのまま書くことで、人間のリアリティを表現しようとされていたと思うんです。でもそれは小説という自由度の高い表現だからできることで、映画はもう少し幅広く伝わるものにしなければいけないと、私は思って。原作の根っこの部分を掴んでもらうには、逆にどんな物語的アプローチをすればいいのか。わかりやすく、というわけではないけれど、今の時代を生きている人に見てもらうための工夫ーー例えば終盤に三上が働き始めた介護施設での経験は、原作にはない劇的な部分で、そういうのも勇気を持って入れました。

役所さん:どう共存していけばいいのか、どうしたら受け入れられるかというのは、本当にわからないし自信がないです。でもやっぱり、どうにか手は差し伸べてあげたいとは思いますね。

西川監督:積極的に手を差し伸べることはなかなか難しいけれど、知ることで、少なくとも社会の見え方が変わってくるとは思うんです。私もそうだったんですよ。原作を読むことで異なる視座を得ることができた。それがあるだけで、随分変わってくると思うんですよね。
 

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