「早希って、恋愛になると急に自己肯定感が下がるよね」
長年の親友たちはそう簡単に誤魔化せない。結局は洗いざらいを話すことになった早希に、絵梨香は呆れ顔を向けた。
図星を突かれて言葉に詰まる。
「まぁ……美穂みたいな根っからのモテ女がそばにいたら自信喪失しちゃう気持ちもわからなくもないけど」
何も言えず黙っていると、絵梨香は独りごとのようにそんなことを呟き、そして再び早希を向き直った。
「だとしても、素直になればいいのに」
「いや、だって彼は30歳なのよ。私なんかが申し訳ないわ。それに万が一うまくいったとしても結婚とか現実的じゃないし……」
早希は自嘲気味に弁解する。しかしその途中で、絵梨香から鋭い質問が投げられた。
「早希はさ、ホントに結婚したいの?」
「そりゃあ……」
言いかけたものの、答えに詰まった。「結婚したい」と断言できぬまま時が止まる。
結婚し、子どもを産み育てる。それが女として正しい生き方だと思っていた。だからなんとなく諦められず、ぼんやりと理想像を追ってきた。
しかし今、正面から改めて問われハッとする。
自分は本当に結婚や出産を望んでいただろうか。自分の意志で心底それを求めていたのか。
もしも真に結婚を望んでいたなら、もっと積極的に動いても良かった。
出会いがなかった、いい人がいなかったというのは言い訳にすぎない。周囲に紹介を頼むとか、結婚相談所に行ってみるとか、方法ならば色々あった。なのに、しなかった。
なぜか。その理由には自分でも心当たりがある。
早希は、結婚や子育てよりも恋がしたかった。恋愛抜きの結婚や子育てには興味が持てなかったのだ。そこが譲れなかった。
28歳で婚約破棄されるという痛手を負って以降、早希の願いはたった一つだった。ただもう一度、誰かを本気で愛し、愛されたかった。
「早希は好きなように生きればいいのよ」
考え込んでしまった早希に、絵梨香が諭すように言う。すると、隣でずっと黙って聞いていた朋子もおもむろに口を開いた。
「独身のまま好きに生きるのって、経済的にも精神的にも自立した女の特権じゃない?恥じるどころか、誇りを持っていいと思う」
――経済的にも精神的にも自立した女の特権……。
朋子のセリフが胸に刺さり、早希は再び自分自身を振り返ってみた。
実際のところ、早希は一人でも十分に生きていける。
転職で多少不安定にはなるものの、それでも生活に困ることはない。17年もの月日を大企業で働いてきたから、それなりの資産もあった。
それに……結婚が唯一の幸せでないということも、美穂をそばで見ていてよくよくわかった。
絵梨香や朋子の言うとおり、好きに生きればいいのだ。キャリアを積み重ねてきたからこそ、早希にはそれができる。
10歳下だろうが結婚が現実的でなかろうが、後先考えず飛び込んだっていいのかもしれない。その結果たとえ怪我をしたり溺れても、自力で浮上すれば済む話だ。
「ねぇ。実はさ、私もClubhouseで知り合った年下男子と会う約束したんだよね」
「ええ!?」
何を思ったのか、絵梨香がふいに話題を変えた。
虚をつかれた早希と朋子が目を点にしていると、彼女はどこか誇らしげな表情を浮かべてこう宣言したのだった。
「私も自由に生きることにしたの」
絵梨香は長年セックスレスに苦しんでいた。彼女の言う「自由」とはつまり、性の対象を婚外に求めるという話だろうか。
「好きにやらせてもらう。その代わり、何が起きても自分で責任をとるわ」
否定も肯定もできず、早希と朋子は顔を見合わせた。
しかし淀みなく言い切った絵梨香の清々しさは、早希の心に溜まった灰まで吹き飛ばしてくれるようだった。
「これが草食?」掴み所のないアラサー男子
40歳だから、年上だから、仕事仲間だから。
約束の日。油断すると浮かんでくる言いわけも迷いも振り切って、早希はお気に入りのワンピースを身に纏った。「スタイリング」というブランドのもので、手持ちの中ではフェミニンなデザインだ。
以前ならば「そんなことしても意味がない」とか「いい歳して恥ずかしい」などと防御線を張っていたと思う。
しかし先日、絵梨香と朋子に背中を押されたおかげで、早希は違う捉え方ができるようになっていた。
オシャレをすることも隼人に会いに行くことも、すべては自分の意志だ。誰にどう思われようが関係ない、と。
ところが……隼人から指定された恵比寿のビストロに到着した瞬間、高揚していた早希の心は瞬時に萎むことになった。
そこには、予想外の顔があったのだ。
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