依存妻の「人生の代償」3:愛を失いやすい


パートナーにベッタリ依存されると、精神的にも負担がかかるもの。だから、相手が自分の度量を超えて依存してくる場合は、限界が来た時に関係が終わることは少なくありません。
実際に、依存する妻に疲れ果ててしまい、離婚を切り出す夫はいます。依存する妻と一緒にいると、束縛されることが多く、窮屈に感じ、「自分の人生の可能性が狭まれてしまう」と感じるからです。
妻のほうは、「こんなに私はあなたのことを愛しているのに、なぜ?」と思いがちですが、そういう人は、“本当の愛”を理解していません。

 

社会心理学者のエーリッヒ・フロムの『愛するということ 新訳版』(紀伊國屋書店 刊/鈴木 晶 翻訳)には、こんな言葉があります。
<未成熟な愛は「あなたが必要だから、あなたを愛する」と言い、成熟した愛は「あなたを愛しているから、あなたが必要だ」と言う。>

「どうせ、どちらも相手を必要とするのだから、同じではないか!」と思いがちですが、そうではありません。「相手を必要だから、愛する」のは、単なる“自己愛”であり、「愛しているから、相手の存在を求める」のは、“本当の愛”なのです。

そして、逆説的ではありますが、「相手のことを本当に愛している人は、場合によっては、相手の幸せのために、辛くても相手のことを手放すこと」だってできるのです。だから、依存している人とは、“愛の質”が違うのです。
依存している人は、自分1人では立てない状態でいるため、自分が幸せになるために人を必要とします(=相手を利用しようとします)。それで、相手が言うことを聞いてくれればいいのですが、そうでない場合は、怒ったり、嫌いになったりすることも少なくありません。そういう人にとって、自分の要望を応えてくれない相手というのは、「自分に幸せをもたらさない人」になってしまうからです。

逆に、精神的に自立している人は、“自分を幸せにする力”があるので、人に幸せにしてもらうとは思いません。だから、相手が自分の言うことを聞こうが、聞くまいが、それで自分の幸せが左右されにくいため、どっちにしても相手のことを愛し続けることができます。
つまり、本当に人を愛せるようになるためには、「精神的な自立は必要不可欠」なのです。だから、“夫を本当に愛せる妻”になるためにも、ある程度は、自立をしていたほうがいいのです。そうしたら、“自分にとって、都合が悪くなった夫”であっても、愛し続けることができるからです。

ここまで、依存妻の「人生の代償」を3つ紹介しました。夫に依存していると、人生の自由や愛を失いがち。精神的な自立は、専業主婦であろうと誰にとっても、「人としての成熟」において大事なことで、必ずできるようになったほうがいいことです。これができていないと、いつか人生の壁にぶつかるといっても過言ではありません。

逆を言えば、自立をしている人は、「自由や愛を得られやすくなる」とも言えます。自立していることによって、人生の選択肢は増えますし、より純粋に人を愛することができるからです。
だから、幸せでいるためにも、いつでも1人で立てるくらい“精神的に自立した人”でありたいものですね。

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