生理の不調は仕方のないこと、
改善の余地はないとの思い込み

 

一世一代の晴れ舞台で初めて生理日を変えることを選択した結果、苦い思いを味わってしまった伊藤さん。
もちろん、それまでも大きな大会には何度も出場していましたが、生理日が当たってしまった場合も特に対応することなく出場していたと振り返ります。
そもそも競泳は、水着で水に入るゆえ、他のスポーツ以上に生理の影響を受けそうな競技。
伊藤さんは、自身の競技人生の中で、どのように生理とつき合ってきたのでしょうか。

 

「強くなるためには、生理中であろうと練習を休む選択肢はありませんでした。初潮を迎えた時は、すぐに母からタンポンを渡されて。そのときのことは今でも覚えています。

タンポンは先輩たちが使っているのも知っていたので、それほど抵抗なく受け入れられましたが、とはいえ、先輩や他の選手と生理について真面目に情報共有できる機会はありませんでしたね。

コーチから生理について何かを教わったこともありません。私たち女子アスリートにとって、生理による体調の変化は、毎月必ず起こるものであるにも関わらず、個人個人で対処するしかなかったのです」

 

実は、伊藤さんは2004年のアテネオリンピック選考会でも生理に煩わされてしまいました。その日、実力を出しきれずに悔しい思いをした経験は、それ以降、自分の中で“生理になるといい結果を出せない”という悪いジンクスになるほど。

生理による身体の変化により、大会結果が左右されることも少なからずあったにも関わらず、当時はまだ、“生理の不調は改善できる”という意識すらなかったのです。

「その頃、生理の不調を感じたときに婦人科に行くことをすすめてくれる人はいませんでした。
日本のトップアスリートのために最高の環境が整えられているはずの国立スポーツ科学センターにさえ、まだ婦人科がなかった時代。
ようやく2016年、非常勤ですが週一で設置されました。

ただ一方で、日本は世界の中でも比較的早く女子アスリート支援に乗り出した国でもあります。なかでも東大病院の能瀬さやか先生は、女子アスリート外来を立ち上げ、生理の問題に取り組んでいらっしゃる医師。

競技レベルに関わらず、小学生からトップアスリートまで誰もが受診できる診療科ですが、なかなか世の中に浸透していない現状がありますね。
そんな情報を広く発信していくのも、『1252プロジェクト』の大きな役目だと思っています」


競技人生がすべてではない
セカンドキャリアのためにも正しい知識を

 

競泳に限ったことではなく、女子アスリートは心身を極限までハードな環境に置くケースが多く、生理不順や無月経になるのはよく聞く話です。
しかし、本来、生理は妊娠・出産するために欠かせない身体の仕組み。

不妊に悩む女性は珍しくない今。
女子アスリートも競技を引退し、いざ子どもが欲しくなった時、自身の身体の不調が原因で不妊に直面することは、案外多いのではないでしょうか?

 

「一概に、アスリートだから不妊が多いとはいえないと思いますが、心身の限界に挑戦する日々を送っていることは確かですね。
女子アスリートは、体力、我慢強さがあるからこそ、自分の身体の不調に目を向けにくい傾向はあるかもしれません。
生理の正しい知識を持たないまま、競技の目標が最優先になっている選手の中には、無月経になっても『むしろ煩わしくなくていい』と放置してしまう人も。

ただ、私は、アスリートも引退後の人生を見据えていくことが重要だと考えています。長い目で見れば、競技人生は“人生という本の中のひとつの章”。

ですが、多くのアスリートは、競技だけで人生の本を完結させるイメージを持ってしまっている。『ここで燃え尽きても構わない』という生き方を否定はしませんし、確かにそれくらい強い意志を持たなければ、トップアスリートとして緊迫した状況で、最大限のパフォーマンスを発揮するのは難しいかもしれません。

でも、もしも事前に生理の知識がなかったばかりに、後々後悔するようなことになってしまったら……。
不調の原因は人それぞれですから、最悪の場合、放置していたことで身体を壊し、競技人生まで失うことになってしまうかもしれません。

どんな人生を選択しても応援したいと思いますが、重要なのは、正しい知識を身につけた上で、引退後も含めた自分の生き方を、たくさんの選択肢から自分で選び取る、ということなのです」

 

現状、多くの女子アスリートや指導者が正しい生理の知識を共有できていない背景には、日本の学校における性教育の遅れや、社会に根強く残る生理へのタブー感といった問題が深く関わっています。
思春期の最中にいる女子アスリートが、生理のことで婦人科に行くのも、まだまだ高いハードルといえるでしょう。

「その辺りの感覚は、世界的に見ても日本はだいぶ遅れていますね。
たとえば、当時ドイツに住んでいた友人によると、『初潮が始まったら婦人科に行きましょう』とかかりつけ医を探す習慣があるそうです。

それをそのまま日本で真似するには、婦人科の病院がない地域の対応をどうするか、など様々な課題がありますが、まずは少しでも若い女性が婦人科を訪れるハードルを下げられるようにできたらいいですね。

日々、身体と向き合い続けているトップアスリートが率先して婦人科を受診してお手本になっていけると、徐々に意識も変わっていくのではないかと思います。

また、最近では、生理の問題について発信するアスリートや、民間団体、婦人科の先生方も増えてきているように思います。
『1252プロジェクト』では、そんなみなさんの活動を単発で終わらせることなく、ひとつに繋げて、より持続性のある大きなうねりに変えていけたらと考えています」

撮影/嶋田礼奈(講談社写真部)
取材・文/村上治子
構成/片岡千晶(編集部)
(この記事は2021年4月24日に掲載されたものです)
 
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