働かない家事しない。発達障害特性を抱えた妻との生活を、深い障害理解をベースに開拓していった文筆業の鈴木大介さんご夫婦の物語『されど愛しきお妻様』(講談社)は、上田美和さんによるコミカライズもされ、多くの「ふたり」に熱い共感を呼び覚ましました。

今回はその続刊『発達系女子とモラハラ男 傷つけあうふたりの処方箋』(漫画:いのうえさきこ、晶文社)第8章から、一文を転載します。

夫婦二人三脚で家庭改革を進めた鈴木さんご夫妻ですが、障害特性を理解し、家事負担を平等にしたうえで、なお鈴木さんの中にわだかまりが残りました。それが、「ねえ、君は働かなくていいの? 君本当に働かず今のままで、年を取り続けていくの?」という感情だったと言います。

けれどそこで鈴木さんが気づいたのは、自らの中に旧弊なジェンダーロールがこびりついていたことでした。

 

不満の底に「役割の無い妻」


まず、働かない妻に対しての不満の理由に、僕だけ働くことの不公平感、生活をもっと楽にして将来を安心したいという経済的見地があるのは当然のこと。けれど、自らの中で絡み合う感情を整理していくと、これだけじゃないことに気付いた。

というのも、僕の中にそうした不満の感情が特に膨れ上がるのは、仕事部屋で忙殺されているときに妻のゲームの音が聞こえるとか、炊事に立ち働いているときに妻がスマホをいじってるなんてシーンに加えて「外出した時」があったからだ。

日中に街を歩けば、そこでは嫌でも妻と同世代の女性が働いている姿を目にする。コンビニに行ってもご飯を食べても病院に行っても役所に行っても、どこにでも働く女性、働く女性、働く女性。または子どもの手を取る、子育て中の母親……。

そうした女性たちの姿を見る度に、かつての僕の中では、不満がつのっていた。

「世の中で何かのロール=役割を持っている」女性と、何のロールもあるように見えない、働かない家事もしない自発的に外出すらしない引きこもり状況の妻を比較して、「本当に君はこのままでもいいの?」という気持ちが膨れ上がる。
おしゃれをしてメイクだってして、社会の構成員として堂々として見える女性と、あまりにもかけ離れた妻との比較……。

思えば妻は、出会ったころから徹底的に「何かのロールを担わない」女性だったし、僕はそんな妻に対し、常に不満を抱え続けていたのだと思う。

例えば僕は、同棲と結婚を経て家族になっていく中で、妻を僕の実家に連れて帰ることを、とてもストレスに感じていた。

 

女の役割という昭和の呪い


実家に妻を連れて帰ると、妻は義実家の前で緊張もあるのか、普段なら言わないような不用意な爆弾発言をしてしまう。

家族の話にことごとく食い違った返答をする妻。家族が台所に立っても居間でテレビに見入って手伝おうとしない妻。ならまだしも、実家に着くなり具合が悪くなって客間のソファでずっと横になったままなんてことも度々……。

家族に対して配偶者を良く見せようという気持ちはどんな人にもありそうなものだが、ことごとく悪い面しか見せようとしない妻に僕は不満をつのらせていたし、自宅に帰るときはいつも妻に小言を言って口論になっていたような気もする。

 
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