忘れられない元カノから
ある日電話がかかってきて……

「日和と同じ見た目で、思いやりがあって、嘘つかなくて、俺のことが大好きな女の子、いねーかなぁ……」

自分が撮った映画の中で笑う日和を見つめながら、そう独白する。いるわけねーだろ、そんなのは市松だって百も承知だ。自分のイタさも、不毛さも、日和を断ち切ったほうが人生がスムーズに進んでいくだろうことも、とっくにわかっている。でも忘れられない「運命の女」から電話がかかってきた時、彼の世界に光が射す。

 


日和という存在がその光をちかちかと乱反射させるさまを、わたしたちは目撃する。そして市松同様、日和に取り込まれていってしまう。目を凝らそうとしてもまぶしくてよく見えない、焦点を合わせるのをよしとしてくれない彼女に。長いまつ毛、さらさらの髪、可憐な日和が頬を染めて「市松くん全然変わってないね」と笑う。それから、清らかな笑顔のまま「私の出産記録を撮ってほしいの」と言うのだ。クリームソーダを前に「市松くんの精子が欲しい」と。

あれ、いきなりの成就? そんなはずはない。だって日和だから。運命の女だから。細密に描き込まれた日和の瞳は、万華鏡のようでも、宇宙のようでもある。天使のように愛らしく「これに入れて、精子」と採取容器を差し出したかと思えば、悪魔のように思わせぶりに「無理に、責任負う必要ないんだよ……?」とほほ笑んでみせる。なのに二巻ではうろたえたり恥じらったり強がったり、少女のような幼さも覗かせ、こっちは「ずるいわそれ」と天を仰ぎたくなる。
大きな目的を胸に秘めた魔性の女と、その女に人生フルベット上等なド根性の男。両者のエゴがぶつかり合って散る鮮やかな火花に、ぞくぞくさせられる。
 

 

『スモールワールズ』

一穂ミチ

夫婦円満を装う主婦と、家庭に恵まれない少年。「秘密」を抱えて出戻ってきた姉とふたたび暮らす高校生の弟。初孫の誕生に喜ぶ祖母と娘家族。人知れず手紙を交わしつづける男と女。向き合うことができなかった父と子。大切なことを言えないまま別れてしまった先輩と後輩。誰かの悲しみに寄り添いながら、愛おしい喜怒哀楽を描き尽くす連作集。

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写真/shutterstock
構成/川端里恵(編集部)

 

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