「いい子」でなくていい


これまで、「いい娘(息子)でいなくては」と、がんばり続けている人に何度も会ってきました。でも、どの人も、判で押したように苦しそうな表情だったのが、印象的です。

ある男性は実の親を介護していました。親は昔からとても気が短い人で、罵倒され、脅され、振りまわされて育ちました。高齢になった今でも、激しい感情をぶつけてくるのは変わらないと言います。しかし、それでも彼は、親の世話をやめようとしません。

 

入院した親からあれこれ無理難題を突き付けられてもかいがいしく病院に通い、面倒を見続けます。その意味でこの男性は、まさに「いい子」と呼ぶべき人でした。

 

ある日、男性が買ってきた新しい寝間着を気に入らなかった親は、それを床にたたきつけて足でさんざん踏んだあと、ゴミ箱に投げ込んだそうです。
「親は、いくら私ががんばっても感謝してくれません。どうしたらいいですか」
男性はこう嘆きます。

みかねた私は、「施設に託すのもひとつ」「民間のサービスを利用しては」などと提案してみるのですが、何を言っても、彼は決して首を縦には振りません。
「(私が行かないと親が)人に迷惑をかけますから」
「(私が介護しないと)もっとひどいことになりますから」
相談室のソファで、男性は自分が「親の言いなり」にならざるを得ない理由をたくさん並べたてます。

幼い頃から暴君同然だった親。その面倒をひたすらみてきた彼は、〈親は自分がいないと生きていけない〉と本当に思い込んでいるようで、「役割から解放された自分」を想像することができません。彼から離れないのは親ですが、彼自身もまた、親から離れられないのです。

親は子に依存し、子はそんな親を支える自分に使命感と価値を見出すーーまさに「共依存」の関係に陥っていたケースです。