通常の教育ではほとんど触れることのない法曹界のしくみについて、幼少期から触れることにはどのような目的があるのでしょうか。李さんの考えには、思わず目からウロコが落ちました。

 

「本学園ではかなり前から“討論”が日常の一部となっていた。おかげで子どもたちは、他人の意見をよく聞くこと、自分の意見を表現することに慣れている。
(中略)
ある卒業生が学園を訪問してくれた。中学校での生活で、彼が一番印象的だったのは会議だという。普通の中学校の同級生たちは会議が苦手で、彼らには意見がまったくないか、論理性に欠けているかで、討論するのがとても難しいということだった。

民主主義制度は数で争いに代えるもの、文明は理性で暴力に代えるものなら、子どもたちが小さい時分から討論と会議に慣れ親しむことは極めて重要だといえるはずだ」

 

もちろん、子どもたちへの愛情と未来への願いが込められた裁判は、判決内容によって服役が待っているということはありません。もっとも厳しい罰則でも「自宅で1週間自習する」といったもの。そのほかには、

・お互いに感謝する
・相手の掃除を手伝う
・事務室の下働きをする
・(誰かのものを壊した場合などは)損害賠償する
・翌日は1日家で反省し、相手と仲良くなれる気持ちになったら登校する

といった判決が下されます。裁判自体も殺伐とした空気は一切なく、笑い声が飛び交ったり、相手を支え合う温かな雰囲気に包まれたものだといいます。