先週、4度目の五輪出場となる体操の内村航平選手が言ったとされる「選手が何を言おうが世界は変わらない」という発言が話題になりました。これを激しく批判するツイッターが有識者からも出ているのを見かけましたが、いくつか疑問に思う点があったので、整理してみたいと思います。

2021年6月に行われた、全日本体操種目別選手権での内村航平選手。写真:松尾/アフロスポーツ

まず、発言の経緯ですが、話題になっていた東スポWebの記事をよく読むと、内村選手は、自身としてはコロナが落ち着いたように感じていた昨年11月に「“できない”ではなく、“どうやったらできるか?”を考え、どうにかできるように考えを変えてほしい」と発言。今回はその発言を指して「ああやって言ったことで開催してもらえたとは僕は思っていない。選手が何を言おうが世界は変わらない」と述べたとあります。

 

つまり、「選手が何を言おうか世界は変わらない」と思っているから何もしない、というわけではなく、自分の主張はした。ただしそれで世界が変わったわけではないと思う……という説明をしたかったと思われます。

それに対し、開催への賛否はともあれ多くの批判が集中した背景には、東スポ編集部が「選手が何を言おうが世界は変わらない」の部分を見出しに取り、そのセリフだけが独り歩きしてしまった面があるでしょう。


次に、全体を読んでもなお、影響力のある人物が無責任なことを言うべきではない、という意見があると思います。私自身、内容だけを見れば「どうせ何を言っても世界は変わらない」という諦観には、断固「そんなことない」という立場を取りたいです。ちなみにこのコロナ禍における現在の日本の対策状況での五輪開催にも、私は反対です。

しかし、では内村選手の発言をボコボコに叩いていいかというと、それは別の話です。個人攻撃をしても問題は解決しません。彼がそのように言った背景を考える必要があるし、追及すべき相手は組織的判断や構造など別のところにあるのではないかと思います。

現在、五輪中止を主張する人たちの中にはアスリートに「出場を辞退すべき」と迫る人達もいるようです。しかし、アスリートには自身の進退が大きな影響を与えるスポンサーや関係者がたくさんいます。五輪出場に自身の生活がかかっている人もいるでしょう。そうでなくとも、これまで全てを賭けて目指してきた目標であり、深く葛藤している人もいるでしょう。

簡単に結論の出せない問題で、しかも集中力を欠けば負けてしまう世界。「目の前のこと」、つまり、自分の競技に集中しようと考える人がいるのは不思議ではありません。

もちろん、記事だけでは、内村選手がこれまでどのような経験や想いを経てこの発言に行きついたのかは分かりません。でも仮に彼のような知名度のある選手が、本当に「どうせ社会は何を言っても変わらない」「1人の人間に変えることなどできない」という諦観を抱かなくてはならない、スポーツ界がそんな世界なのであれば、なおさら、問うべきはそのような構造であると思います。

 
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