「実は、心の底からバブルを楽しめていなかった」


ーどうしてチャラいことがそれほど好きだったのでしょう?

「あこがれてたんじゃないですかね。私、正直いうと、ディスコにいてもパーティーに行っても心の底から騒いだりできないんですよね。どうしてもテンションが上がりきらないというか……。だから派手な場面を堪能している人に尊敬と憧れを持ってました。コンプレックスなんて言ったらカッコつけ過ぎですが、きちんと楽しめてないとずっと思っていて」

ーそれは意外ですが……! たしかに、どの写真も甘糟さんはあまり笑っていないのが気になっていました。

「それ、よく言われるんです。文章を書く仕事をする前から、人々が熱狂している場面に遭遇すると、心の中でメモをとってしまう癖があって。

ここで一番の歓声が上がったな、とか、どこのバッグを持っている人が多い、とか、何色のカクテルが人気、とか。そういうささいなことを確認するのが習慣でした。みんなが“イェーイ!!”って騒いでいても、つい心の中でメモをとっちゃうので、のりが悪いんです。しらけているように見えたかもしれません」

と言いつつ、この写真の甘糟さんは自然な笑顔ですね。逗子マリーナで、なぜバンパーに足をかけているかは謎だそう。

ーここに来て、「実はバブルを楽しめていなかった」というのは驚きです。

「楽しめていないというか、楽しみ方が周りとは違ったのでしょうね。あんまり信じてもらえないかもしれませんが、私は、70年代に盛んだった学生運動とか、就職氷河期世代の就活には憧れと引目があるんですよ。

若い時に真摯に何かと戦ったり、苦労を乗り越えることは人をぐっと成長させるでしょう。私たちはそれがなかったんじゃないかと今になって思うんです。からかってるわけじゃなくて、本当にね。あの頃の私は戦うといってもタクシー争奪戦くらいだった。タクシーでさえ自分で捕まえてませんでしたしね。髪の毛かきあげて、“タクシー、まだぁ?”って男の子に言ってるだけでした」

 

バブル世代の、「踊らなくちゃいけない」という義務感


ーでも、そんなバブル世代の方は根本的に前向きというか、今で言う「陽キャ」(陽気で明るい“イケてる”キャラクター)の方が多く、他の世代が憧れることも多いと思います。

「陽キャ、と言われればそうかもしれません。私が生まれたのは終戦からたったの19年後。テレビも写真も白黒だったんですよ。日本はそこからわずか20数年で、企業がアメリカのロックフェラー・グループを買収したりゴッホの「ひまわり」を買うぐらいの経済成長を遂げました。

私たちはそういう右肩上がりの景気と一緒に大人になったんです。“昨日より明日の方が必ず豊かになっている”という感覚が染み付いてるんですよね。だから、心根が前向きな人は多いかもしれません。脳天気とも言われやすいですが。

バブル世代はずっと消費の主役でもありました。年齢が上がる度に自分たちがターゲットの雑誌が創刊され続け、40歳はなる頃はさすがにもうないかな、と思ったら『STORY』が創刊されました。誌面を開けばもう若くはない読者モデルがポーズを取っているわけです。私たち世代には、太鼓を叩かれたら踊らなくちゃいけないという義務感もあるのかもしれません。無意識にね」

ーなるほど、深いです……。ちなみに甘糟さんは、もう一度生き直したら、やはりバブルを経験したいですか?

「したいですね。やっぱり楽しかったし、無条件で明日に期待できるあの空気はいいものでしたよ。時々妄想するのは、当時スマホや SNSがあったらどうなっていたかということです。あの頃Instagramがあったら私はきっと1日に30投稿くらいして、Twitterでは余計なことつぶいてしょっちゅう炎上していたんじゃないかなあ(笑)」

ーでは最後に、『バブル、盆に返らず』の読者の方へ一言お願いします。

「うかれた時代を笑ってくださったら、うれしいです」

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8月9日(月) 猫街倶楽部
バブル・カルチャーの真打、甘糟りり子さんをお迎えして開催!

8月10日(火) 丸善ジュンク堂オンラインイベント
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取材・文/山本理沙