しかし、当時の日本社会はこうした指摘に無関心だったどころか、気象の変化に伴うリスクを主張する人に対しては「不安を煽る」「絶対にそうなると保証できるのか」など、バッシングすら行われている状況でした。日本社会はいつもそうなのですが、将来のリスクを指摘する人に対しては、ほぼ必ずといってよいほどバッシングが行われ、実際に被害が発生すると、今度は「なぜ対策ができなかったのか」と批判する人をバッシングするという行為の繰り返しです。

これでは、まともな議論などできませんし、いつまで経っても、対策が後手に回ってしまいます。

7月1日から続いた大雨により、3日午前、静岡県熱海市で土砂災害が発生。写真は7日、被害のあった地域で続けられる救助活動の様子。写真:Abaca/アフロ

非常に残念なことですが、先ほど説明した気象条件の変化によって、今後も同じような被害が多発する可能性が高いと予想されます。現時点では「対策が急務」という声が大きいですが、何度も被害が繰り返されるうちに「災害大国なのだからガマンしろ」といった論調が強くなり、最終的には自己責任として処理されてしまう可能性もあるのではないかと筆者は危惧しています。

 

ちなみに昭和の時代までは、日本について災害大国であると主張する論調はほとんどなく、むしろ「日本は諸外国と比較して気候が穏やかでもっとも住みやすい国である」という意見が大半を占めていました。確かに今ほど大雨の被害はありませんでしたが、台風で大勢の人が亡くなったり、地震や津波で多くの人命が失われる状況は昔も今も同じです。

世論で叫ばれている内容というのは、その場の雰囲気で決まることが多く、たいていの場合、客観的な事実には基づいていません。日本に災害が多いのは昔からであり、一方で気候が比較的温暖だったのも事実ですから、情緒的な話には振り回されず、客観的に自分達が住む国について把握することが大事だと思います。

予算や人的リソースの制限はありますが、科学的な予測を前提に、事前に対策を講じることは不可能ではありません。

山梨大学の研究によると、浸水が想定される区域に住む人の数は1995年から2015年の20年間で約150万人も増えています。このデータは、大雨の被害多発が予想されているにもかかわらず、わざわざ危険なエリアで宅地開発が行われてきたことを示唆しています。このような危険な開発に対して、ある程度の制限を加えるだけでも、被害を軽減することができます。私たちに出来ることはたくさんあると考えるべきでしょう。
 


前回記事「【児童5人死傷事故】コスト削減を続けてきた日本の危険すぎる交通事情」はこちら>>

 
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