当初は子どもに迷惑をかけまいと思って始めた片付けだったが、効果はそれだけではなかった。

ものにとらわれる人生をやめたことで、人生がぐっと身軽になったのだ。そもそも年老いた心に、たくさんの思い出を詰め込んで生きることはできない。過去にすがりつく気持ちを断ち切って初めて、前に進める。
令和元年、八十五歳のときに、私は転んで股関節を骨折した。手術後は前のようにちゃかちゃか動くこともできなくなり、気分も落ち込んだ。

だが、こう思いなおすことにした。
「怪我をすると、夫もまわりの人も優しくしてくれる。だからむしろラッキーだ」
昔の私なら「好き勝手に動き回れない人生なんて!」と嘆いていたことだろう。健康そのものだった昔と比べて今の自分を残念に思い、沈み込んでいたかもしれない。でも、ものとの「お別れ時」があるように、健康な身体を諦めなければならないときだって来る。今の自分には、それがよく分かっている。

「怪我をしたらハイヒールを履けない」という不安も頭をよぎったが、全部捨てたから心配無用。かわいいスニーカーを履いて、一歩ずつ地面を踏みしめながら歩く。そのほうが、八十過ぎのおばあちゃんにはお似合いだ。

 

新型コロナウイルスの感染拡大で、世の中は大きく変わった。外出は制限され、大好きだったデパートでの買い物ができない。人と会う機会が減り、大勢で集まって楽しく過ごすこともできない。
それでも私は「仕方ない」と受け止める。むしろ「みんなが消毒をするようになって衛生的になったわね」と、いい面だけを見たほうがいい。

九十歳も間近に迫り、身体が思いどおりに動かない日も増えてきた。気分がすぐれない日だってある。
だけど私は喜劇役者だ。世の中が変わったって、大事なものを手放したって、「今度はこんな役なのね」とまずは演じてみる。

そして最後は、すっきり笑って死んでいく。ただそれだけだ。

著者プロフィール
中村メイコ(なかむら・めいこ)

本名は神津五月(こうづ・さつき)。一九三四(昭和九)年五月、作家・中村正常の長女として東京に生まれる。二歳八ヵ月のとき映画『江戸っ子健ちゃん』のフクちゃん役でデビュー。以後、女優として映画、テレビ、舞台等で幅広く活躍。一九五七(昭和三十二)年、作曲家・神津善行と結婚。カンナ、ハヅキ、善之介の一男二女をもうけ、「神津ファミリー」としても親しまれる。

『大事なものから捨てなさい メイコ流 笑って死ぬための33のヒント』
著者:中村 メイコ

榎本健一がくれたキューピー人形、高倉健と江利チエミの結婚式の写真、東郷青児が描いてくれた似顔絵……。中村メイコさんは80歳を前に、大事にしまっていた「宝物」を捨てる決断した。過去にとらわれる気持ちを断ち切らないと、人生の最後を軽やかに生きることはできないからだ。'19年には骨折と入院を経験し、コロナ禍で女優業も思い通りにならない。そんななかでも明るさを捨てない喜劇役者が語る「笑って生きるヒント」。

この記事は2021年8月3日に配信したものです。
mi-molletで人気があったため再掲載しております。