「最近の10年から20年ほどの、この国の政治や社会に通底する気配を端的にあらわす言葉はなんだろうか。劣化とか沈滞とか忖度とか、時代の気配をすくいとる言葉はいくつも浮かんではくるが、私がたどりついたのはかなりくらい言葉である。排他と不寛容――」

冒頭から思わずハッとする一文が綴られるのは、ジャーナリスト・青木理さんと、ノンフィクションライター・安田浩一さんの共著『この国を覆う憎悪と嘲笑の濁流の正体』。ネットにあふれる差別や誹謗中傷、そして政治やメディアの問題など、2人の論客がさまざまな角度から対話を重ね、“排他と不寛容”という風潮の正体をあぶり出そうと試みる対談集です。今回は、現代社会のありようを客観的に見つめ直すヒントに満ちた本書から、“韓国ポップカルチャー”の新たなブームから捉えた日韓交流の今と未来について、対談を一部抜粋してご紹介します。

 


新たな韓流ブームは何を生むか


青木理さん(以下、青木):日韓関係に携わる人びとの間でよく語られる言葉があるんです。日本と韓国の人びとは、それぞれがまったく別の外国に行くと自国と似たところを見つけて喜ぶくせに、日本と韓国を相互に訪ねた際は自国と違うところを見つけて腹を立てる、と。そもそも隣国同士の仲が悪いのは世界中によくある話でもありますし。

一方で最近は、とくに日本の若い人たちに韓国のポップカルチャーが相当広く浸透しているでしょう。僕はその分野にあまりくわしくないんですが、現在は第三次の韓流ブームなどと言われていて、音楽やドラマはもちろん、ファッションから文学にまで若い人や女性たちが夢中になっている。そういう層ではまた別の韓国観が広がっているのではないですか。

 

安田浩一さん(以下、安田):僕は去年K-POPの取材をしたことがあります。日本人の若者がTWICEに続けとばかりに韓国に行って、向こうでレッスンを受けて芸能人になろうとしている。その子たちにインタビューしたんだけれど、良くも悪くも韓国に対する偏見がない。良くも悪くもというのは、歴史問題への興味も関心も感じられなかったからです。

そういうことを抜きにして、単純にカルチャーとしての韓国にはまっているし、韓国人の女の子と同じようなメイクをし、韓国のテレビに出たいと思っている。そういう若手たちが弘大(ホンデ)あたりに大勢いる。

とくに女性の多くは下宿してレッスンに通っている。いい商売だから、芸能人になんかなれないとわかっていても、レッスンを受け付ける。けっこう高いんですよ。月に10万円くらいのレッスン料がかかる。そういう日本人の女の子をお客さんとしてどんどん受け入れていました。いまはコロナの関係で少なくなっただろうけれど。