甘糟さんの水着姿。バブル時代を彷彿とさせます

――甘糟先生の経験で、一番インパクトがあったエピソードは?

甘糟:著書にも書いていますが、アロワナが泳いでいるレストランの光景はそのまま頭の中に残ってますね。一番衝撃的だったのは、「トゥーリア」というディスコの照明落下した事件でしょうか。フロアには鳴り物入りで導入された大きなバリライトがあったんですが、それが営業中のごった返したフロアにいきなり落下したんです。3名が亡くなり14人の負傷者が出た大事故でした。ニュース番組のトップで報道されました。当時、私も友達もよく行っていたディスコだったので、その夜は友達同士の電話での安否確認が夜中まで続きましたね。

ノラ:あの事件は、ニュースになっていたので私も覚えています。

 

“時代”をギャグにしてよかったこと

大人気「しもしも〜?」ポーズのノラさん

――バブル時代の出来事って、今と違って残っている映像的な情報が少ないので、話を聞いてもピンとこない若い世代の人たちが多いと思います。ノラさんのギャグでバブルのイメージが湧いたっていう方もいるかもしれませんね。

ノラ:だいぶ偏ったイメージなので、なんだか申し訳ないですけど(笑)

甘糟:ノラさんのギャグを使った高校ダンス部のバブリーダンスも、話題になりましたよね。テレビか何かでダンス部のメンバーが「おばあちゃんの服を衣装にしました」と答えていて、衝撃でした。お母さんじゃなくておばあちゃんなのかと。

ノラ:バブルを知らない世代の子たちも面白がってくれたんですよ。「反抗期で口も聞いてくれない娘と、バブルという共通の話題ができたことで仲良くなった」と言われたり、バブルに憧れた10代の子たちがメイクや衣装を真似したり。

“時代”をお笑いにしたことで、いろんな世代にそれぞれの捉え方をしてもらえたのが、すごく良かったと思っています。

甘糟:バブル時代のスタイルって、跡形もなく消え去ったから、そうやって継承していってもらえると嬉しくてありがたい気持ちになります。

ノラ:バブル世代の方から、本当に感謝してもらえるんですけど、感謝したいのは私の方ですね。バブルはみんなのもので、私がバブルというバトンをもらった、と思っています。

コロナ禍を前向きに生き抜く方法とは

甘糟さん、ハワイの某ホテルにて。堂々と座っていらっしゃいます(笑)

――先ほど「バブル世代は楽観的」という話が出ましたが、同時に「前向き」とも言えますよね。こういう時期だからこそ、前向きな価値観は受け継がれても良い気がします。コロナ禍で悶々としている人が多いですが、どうしたら前向きになれるでしょうか。

甘糟:今の世の中を見て、「今日より明日が楽しくなる」とは無責任には言えないですよね。でも1日くらい、「今日だけは明日の心配はしない」みたい日を作っていいのかも。バブル期は本当に明日の心配なんてしなかったんです。そういう“今日だけバブルな日”を作ってみるのは、いいんじゃないでしょうか。

ノラ:1日バブルデー、いいですね。

私自身、実は体育会系で真面目なタイプなんです。仕事でも、売れるためにどういうネタを作ったらよいのか、考えすぎちゃうところがあって。でも、「このバブルのキャラクターだったら、どうやって考える?」って思ったときに、「このキャラクターだったら『なんとかなるさ』って考えるだろうなあ」っていう結論にたどり着くので、その楽観的な考え方に何度か助けられてきました。「パーっと行こうよ、パーっと!」って言っていると、ネタであっても、本当にそういう気分になってくるんです。

甘糟:「パーっと行こうよ」って、当時本当に毎晩言ってました(笑)。いい言葉ですよね。

――ノラさんのLINEスタンプを見ると、前向きなバブルのセリフがたくさんあっていいですよね。

甘糟:私も使ってます。

 

ノラ:ありがとうございます。私もこのキャラクターをやるまでは、嬉しい気持ちなどを口に出して表現しないタイプだったんです。でも「やっぴー!」とか「マンモスうれぴー!」とか言えるようになると、自分でも明るい気持ちになりますね。

――楽しいことや嬉しいことを素直に表現しづらい時代だからこそ、それを口にできると前向きになれますよね。最後に、ミモレの読者に向けて一言ずつお願いします。

ノラ:マハラジャには行けなくても、人生のお立ち台は永遠に続くもの。人生をミラーボールのように輝かせて、自分だけのお立ち台で思う存分舞っていきましょう!

甘糟:「人生なるようになる」くらいに思っていた方がいいこともありますよ。泡が弾けて何かが失われたとしても、そこで新たな景色が見えることがありますしね。時には失ってみるのも悪くないと思いますよ。

取材・文/小澤サチエ
構成/山本理沙