不慮の事件、事故に対する心の折り合いのつけ方


世の中には、神様を恨みたくなるような不運な出来事もあります。自分に落ち度がなくても、不慮の事件、事故に巻き込まれてしまう場合は、特にそうでしょう。
私たちは、「今、生きているこの人生だけがすべて」だと思ってしまうと、単に「運が悪かった」「ツイていなかった」と思ってしまうもの。
でも、「もしかしたら、魂は永遠で、何度も生まれ変わり、今の自分に生まれる前も、そして死んだ後も、今とは違う人生があるのかもしれない」と考えると、これからも続く自分の魂にとって必要な経験だった可能性がある、と思えることはあるかもしれません。
おそらくそのときに学ぶべきことは、「恨み続けるのではなく、そんな状況下でも前向きに、幸せになる選択をすること」という、非常に難易度の高いことでしょう。
「神様は乗り越えられない試練は与えない」といわれるように、“選ばれし人”だからこそ、そんな試練を与えられることはあるのではないでしょうか。

 

私たちは、この世界を「人生ゲーム」のように考えてみてもいいかもしれません。その人のレベルによって難易度の違うゲームのため、私たちは“自分のレベル”に合わせて力をつけていくしかないし、他の人と比べても意味はないもの。それぞれ“自分の人生ゲーム”をクリアしなくてはいけないのです。
だから、自分に落ち度がないのに、不幸な出来事が重なってしまう人ほど、もしかしたら、その人生ゲームでいえば、「上級者」かもしれません。
つまり、他の人には難しくても、その人にはそれを乗り越えられるだけの能力が備わっているはずだから、それだけレベルが高い内容になっているというわけです。
確かに、パラリンピックの選手を見ていても、普通の人であれば心が折れてしまうほどの障害を乗り越え、輝いている人たちが多くいらっしゃいますしね。

ゲームの攻略本と同じように、幸せになるための知識が紹介された本は、世の中に色々と存在しています。私たちはそれらの大切な知識を学び、先述した「幸せになるもの(=難関をクリアするための武器)」を手に入れていき、この人生ゲームを攻略していく必要があります。
まさかゲームをしていて、敵(=人生の障害)を倒す武器(=幸せになるもの)を持たずに戦って、クリアしようとする人はいないでしょう。強い武器を持っている人ほど、よりクリアしやすくなるものです。
現実的に、「幸せになるもの」を持てば持つほど生きやすくなりますし、人生において良い選択をしやすくなります。
私たちは「ゲーム」だと思うと、色々な武器を手に入れようとするのに、現実世界では、武器を入手せずに挑み、苦戦していることが少なくありません。

受け身的に、ただただ人生に流されるのではなく、むしろ積極的に最善の方法を選択していき、この難解な人生ゲームをクリアしていきたいもの。
自分なりに、幸せだと思うゴールを目指していきましょうね。

前回記事「「世間」って、一体、誰?同調圧力に負けない生き方」はこちら>>