財務省の事務次官が月刊誌に「日本の政策はバラマキ合戦になっている」という論文を寄稿したことが波紋を呼んでいます。松野博一官房長官は「私的な意見として述べたものだ」と説明しましたが、財務省の事務方トップが、自身の肩書きを記した上で寄稿しているわけですから、私的な意見という話にはなりません。

日本では組織に属する人の発言が波紋を呼ぶと、その発言で不利益を被る人が「個人的な発言だ」として処理する傾向が見られますが、これはまったく意味のないことです。肩書きを明示した上での発言が組織と無関係なはずはありませんから、個人と組織を都合良く使い分けるような風潮はなくしていくべきでしょう。

今回の論文を発表した財務省の矢野康治事務次官と、国会で談笑する麻生太郎財務相(当時)。 (写真は2021年2月)写真:つのだよしお/アフロ

今回論文を寄稿した矢野氏は財務省事務方のトップであり、霞が関の頂点に立つ人物の一人です。公務員というのは、基本的に国民の代表である政治家が決めたことを実行する役割ですから、個人的な意見を表明することは滅多にありません。しかしながら、財政の専門職員として意見を言う権利は当然のことながら存在しています。

 

今回は、自身の立場を明確にした上で寄稿しており、上司であった麻生前財務相の了承も得ていますから、内容の是非はともかく、財務省次官としての意見表明であったことは明らかです。しかし、岸田政権の松野博一官房長官は「私的な意見として述べたものだ」と説明しており、組織としての発言とは違うという認識を示しました。一方で新しく財務相に就任した鈴木俊一氏は、「内容については、今までの政府の方針に基本の部分において反するようなものではない」として問題ないとの立場を示しています。

矢野氏が寄稿した記事の中には、現在の自民党政権の政策を批判する内容が含まれています。政権が記事を全否定すれば、それはそれで波紋を呼びますし、かといって批判を受け入れれば、政策の整合性が取れなくなります。結果的に官房長官は「私的な意見である」という見解にせざるを得なかったのかもしれません。

日本では組織人の発言が批判されると、組織に被害が及ばないようにするためか、個人的な発言として処理しようとする傾向が顕著です。しかしながら、矢野氏は肩書きを明示して、大臣の了承も得た上で寄稿しているわけですから、仮に発言が越権行為だと批判された場合には責任を取る覚悟を持っているはずです。こうした組織人の発言について個人的なものであると処理しても問題解決にはつながりません。

個人的な発言云々というロジックは、今回とは逆に、発言した人自身が責任逃れに利用することもあります。

 
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