周囲の人の「やさしさ」が自由を奪う

 

診断された途端に周囲の人から向けられる「やさしさ」(善意)が、当事者の自由を奪います。また、周りの人たちが「やさしさ」を履き違えているのではないかと感じることもあります。例えば、家族から「うちの夫は電気をつけっぱなし、水道の水を出しっぱなしにして困っています。どう注意したらよいのですか?」というような相談がよくあります。

 

電気がついていたら消してあげればよいし、水が出ていたら止めてあげればいいと思います。認知症でなくても電気の消し忘れや蛇口の閉め忘れをすることはあると思います。消したり止めたりしてあげるのが「やさしさ」であり、それを問題行動として失敗を毎日のように指摘するのは、「やさしい」ということではないと思います。

家族は、注意して気づいてもらうことが「やさしさ」だと思っているので、毎日指摘をします。それは、電気を消し忘れないことが脳トレと同じように頭を鍛えると思っているからです。しかし、それは残念ながら意味がないことは、医学的見地から明らかになっています。

当事者は、イライラはするけれど言い返せません。言い返せない理由の一つには、良かれと思って言ってくれていると思うからです。言い返すと相手は黙ってしまい落ち込んでしまうし、何も言えなくなってしまうのです。また、「自分のことを思ってやってくれているのに、それを否定したら自分を助けてくれる人がいなくなってしまう」と思うのです。だから自分の思い通りにならなくても、我慢しています。将来のことを考えると、家族以外に自分のことを支えてくれる人が思いつかないので、すべてをあきらめてしまうのです。

この一連の過程のすべてが認知症になったことでの「本当の困りごと」なのです。

私は当事者があきらめないで、前向きになるために、当事者がやりたいことを実現できるように応援して欲しいと思っています。