出し惜しみはやめた


「……。え。ここ? 今? 今言うとこ?」

賑やかなバルの一角、弘美は驚いてビールグラスを落としそうになった。

その言葉と、その次の展開を恐れて長い間、無言の攻防があったはずなのに。なぜ今日、このタイミングで。

「え、いや、だって今日はこれを言うために呼び出したんだ。会うのは年1回の慣例を破った。それ相応の行動を起こさねば、と」

哲也は焦ったように、しかしとても律儀に言い募った。

「弘美、ずっと好きだった」

「う、ええ、ずっと……っていつから?」

43にもなると、告白なんてむしろ恥ずかしい。もっとぬるっと始まるもんじゃないのか、男と女は。すっかり錆びた恋愛脳でとんちんかんなことを考えながら、弘美はますますドツボにハマっていく。

「わからん。誓って言うが、彬がいた頃は弘美のことを女性としてみたことはなかった。見ないようにしていた、のかもしれないけど」

彬、という単語が、弘美に数分だけ忘れていた自分の境遇を一気に思い出させた。

そうだ、彬がいる。彬を置いてきぼりにして、話を進めることなんてできやしない。

弘美がそう言おうとしたとき、哲也が先に口を開いた。

 

「俺、気持ちを自覚してからも、弘美に好きだって言うのは卑怯だと思って自戒してた。彬はもう弘美に好きだって言えないのに。だいたい弱みに付け込むみたいで弘美を支えるのさえ後ろめたくてさ。

だからずっと言うつもりなかったし、途中で他の女の人も素敵かもって思って結婚までした。でも他の問題もあったけど、うまくいかなかった。

とにかく弘美が必死に手に入れた日常と平穏を、遠くから見守れればいいと思ってたんだ。

だけど、去年、日常さえもあんな風に簡単に崩壊した。

バタバタ人が亡くなって、自分も感染して、それで気が付いた。そもそも誰かを好きになるのも、好きって言われるのも、『いいこと』なはずなんだ。好きって言われたら、それ自体はパワーになるっていうか……単純に嬉しいだろ?

それなのに、俺は何を10年ももったいつけてんだろうって。自分可愛さで黙ってただけなのに、亡き友が、とか弘美の安定が、とか言い訳してただけだなって。

だからもう、カッコつけるのも出し惜しみするのもやめるよ。

好きだ、弘美。もうずっと長いこと」

 

弘美は、言葉を失って、でも決して聞き逃さないように、哲也の顔を見ていた。

「ああ! やっと言えた。聞いてくれてありがとう。じゃ、とにかくだな、俺はこれからも弘美の応援団だから。好意を持って、ずっと応援してるから。彬はもうここにはいないけど、いつかまた3人で集合できる。それまで、これからもぼちぼち一緒にやっていこう」

憑き物が取れたようにさっぱりした顔になった哲也は、そう一気に言うと、さわやかに席を立った。

「え!? 嘘でしょ、もう帰るの?」