自分だけでなく、「みんなが幸せになる欲」を持つ


無欲になることを推奨している宗教が多い中、弘法大師の密教「理趣経」は、「欲望を抱いてもOK」という教えを説いています。欲望はなくそうと思って、なくなるものでもない。だから、捨てなくてもいい。でも、「小楽」(自分のためだけの楽しさ)を「大楽」(もっと大きい楽しさ)に変えればいい、ということを伝えているのです。

『図説「理趣経」入門』(著:大栗 道榮/鈴木出版刊)には、こういったことが書かれています。

<十七段
煩悩の根本である欲・触・愛・慢を避けるのではなく、大欲に変える修行をつづければ、かならず大楽の世界に住けるであろう>

<「安心しなさい。欲は捨てられないなら、捨てなくてもいいんだよ。それより、小欲が大欲に変わるようにすればいいのさ」
(中略)
「なるほど。大きくいえば、人類の欲を自分の欲にすること、それが小欲を大欲に変えることでしょうか?」>

どうせ欲望はなくならないのだから、その欲望を「我欲」なんて小さな状態のまま留めていないで、もっと大きくして、「みんなが幸せになる大きな欲」に変えよう、というわけです。
それができたときには、自分だけではなく、みんなの幸せにつながる行動ができるようになります。

 

はじめの出世の話に戻せば、「みんなと幸せになる」という大きな欲を持てる人は、ある意味、「出世に値する人」だと言えます。だから、周りの人たちから応援され、引き立てられやすくなるのです。
出世願望の強い人は、「自分(だけ)が出世しよう」ではなく、「この会社をもっと大きくしよう」「この会社に関わる人たちを幸せにしよう」、さらに「仕事を通して社会を良くしよう」という“大きな欲”を持てるようになりたいものですね。


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