アメリカの健康診断は時代に即している


「エビデンスがなくても検査をするだけなら害がないのだからいいではないか」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、検査をすることで一定の確率で「異常」と判定される人が生まれます。

そのような人は病院に行き、追加検査を受けます。検査は場合によって、体に負担がかかるもの。検査が原因となって、合併症を発症することもあるかもしれません。その分だけ、病気に苦しむ人が増える可能性があるわけです。

また、検査にかかる経済的負担、検査で「異常」と判定されることにより生じる心理的負担もあります。これらは検査を過剰におこなってしまうことによる「害」です。価値の低い検査なら、受けない方がよいのです。

このような理由から、米国予防医学専門委員会(USPSTF)は最新のエビデンスをもとにその推奨を随時アップデートしており、それによって健康診断の内容は刻々と変化しています。

疾病の頻度は時代とともに変遷していくものですから、USPSTFの推奨とそれに従って変化するアメリカでの健康診断は、時代に即しているとも考えられます。もちろん、必要な検査というのは年齢によって大きく変わりますから、年齢によって推奨が変わっていることも、理にかなっていると言えます。

 


日本の健康診断には十分なエビデンスがない


一方で、日本の健康診断は、歴史的な背景が色濃く残っており、必ずしも最新のエビデンスを根拠にしているわけではありません。また、個人の年齢によって内容が大きく変わることもありません。このように、日本の健康診断には限界があり、まだまだ改善の余地があるでしょう。

ただし、エビデンスがないというのは、「検査をするのはマイナスだ」ということとイコールでもありません。プラスかもしれないし、マイナスかもしれない。今、日本で行われていることは実は正しいかもしれない。でも間違っているかもしれない。それがわからないということです。

 

しかし時代を考えれば、エビデンスが確立した検査を推奨する、確立していない検査については新しいエビデンスを構築する取り組みを推進する、という努力が求められると思います。

歴史や伝統も大切ですが、国民の健康を維持するための健康診断は、あくまでその時代を反映した、国民の健康を守る検査でなければいけません。そして検査をするにあたっては、利益だけでなく、有害性も考えられるべきです。

残念ながら日本でのエビデンスの構築は盛んではありませんが、オンライン化が進み、データの集約が容易になった今だからこそ、日本発の健康診断のエビデンスを構築していくべきだと考えられます。