「フッ軽」自慢への怒りを鎮めるには?

 

「渋谷に友だち2000人くらいいるんすよww 毎晩呼ばれまくるので5軒くらいはしごしますww」「あの会社の社長と飲んだことありますよ〜ww」(以上本書より)──今の世の中は「フットワークが軽い」ことが美徳とされる傾向がありますが、いざこのような「フッ軽」自慢を目の前にするとなぜかイラッとしませんか? そんなやり場のない怒りを鎮める方法として、堀元さんはこのようなインテリ悪口を思いついたそうです。

「個体の能力を犠牲にする戦略だね!」

<使用例>
「僕の長所はフッ軽なことです!」
「へえ~! 個体の能力を犠牲にする戦略だね!

 

 

「フッ軽」を長所に挙げる人は99%の確率でつまらない!?


堀元さんがこの表現を思いついた背景には、フッ軽を自慢する人々に対する違和感がありました。

「せっかく多くの人に会ってたくさんの刺激をもらっているのに、人生観が全然深まっていないのである。なぜ彼らはそんなにしょうもないのだろう? 人に会いまくっていたら面白い知見をたくさん持っていてもいいのではないか?」

堀元さんの中にある「フッ軽を自分の長所に挙げる人は、99%の確率でつまらない」という感覚をインテリ悪口へと昇華させる際の材料になったのは、昆虫学者の宮竹貴久さんによるコクヌストモドキという昆虫の実験だったそうです。コクヌストモドキには「よく動くオス」と「動かないオス」がいて、前者は個体としての能力が極めて低い反面、よく動くために交尾の回数が多く、それで生存意義を保っているというものでした。


「フッ軽」は生存するうえでの戦略だった


「コクヌストモドキの実験結果は、人にもよく当てはまっていると言えそうだ。フッ軽を長所にしている人(よく動く人)は、動くためにエネルギーを使ってしまっているので、個体の能力が乏しいのだ。具体的には、人に会うことにエネルギーを使いすぎて、勉強したり内省したりすることがないのだと思う。結果、彼の能力は高まらない。『僕の長所はフッ軽です』というセリフを翻訳すると、『僕は個体の能力を犠牲にして繁殖回数を増やす戦略を取っています』なのである」

完璧な人間などそうそういません。フッ軽を実現する代わりに人間的魅力を犠牲にしたのだと思えば、フッ軽自慢に対して少しは寛容になれるかもしれませんね。