アメリカ統治時代の沖縄。自然豊かな沖縄本島北部、通称「やんばる」で育った少女・暢子が、1972年の本土復帰を機に上京し、料理人の夢を追いかける──これは4月11日スタートのNHK連続テレビ小説(以下朝ドラ)『ちむどんどん』の大まかなストーリーですが、沖縄県出身の筆者としては放送前からとても“ちむどんどん(胸わくわく)”しています。

なぜなら、過去にも『ちゅらさん』『純と愛』など沖縄を舞台にした朝ドラはありましたが、アメリカ統治時代、沖縄で言う「アメリカ世(ゆー)」を経験した沖縄人がヒロインとして描かれるのは今回が初めてだからです。もしかしたら、あまり知られていない「アメリカ世の沖縄人」のメンタリティに全国規模でスポットが当たるかもしれない──そんな期待感から“どんどん”してしまいました。

 


「アメリカ世」の宙ぶらりんな状態が生んだもの


沖縄人に接したことがある方はわかると思いますが、程度の差はあれ、沖縄人には沖縄人以外の日本人を「ヤマトゥンチュ」もしくは「ナイチャー」と呼び、自分たちとは違う文化圏の人として捉える傾向があります。人生の半分以上を東京で過ごしている筆者でさえもそのきらいがあるのですが、これは決して「沖縄を特別と思ってるから」とか、逆に「本土に対して引け目を感じている」といった、何か特別な感情があってのことではありません。

この分けて考える癖は、日本とは異なる国であった琉球王国時代の名残だと思われます。そして、戦後27年続いた「アメリカ世」がこの傾向に拍車をかけたのでしょう。その当時の沖縄は、日本でもアメリカでもない“宙ぶらりん”な状態でしたから。

1971年6月17日に行われた、沖縄返還協定調印式の様子。写真:Haruyoshi Yamaguchi/アフロ

筆者は本土復帰後の生まれなので、アメリカ世の様子は資料や先人の話から学んだのですが、簡単に説明させていただくと

・施政権は日本ではなくアメリカにあり、「琉球政府」という独自の統治機構が置かれた。
・アメリカの軍用地を確保するため強制的に住人の土地を摂取。極東最大の米軍基地が建設された。
・アメリカ軍人が住人に対して起こした事故や犯罪は軽く扱われ、ときには無罪となった。

と、政治的な部分だけをみても、本土とは全く異なる状況にあったことが分かります。もちろん、悪いことばかりではなかったでしょうが、当時を経験した人の多くが「自分たちには人権がなかった」と証言しています。あの抜けるような青空、透き通った海とは対照的な暗然たる現実が当時の沖縄にはあったでしょう。

ちなみに、筆者の両親は青春のまっただ中をアメリカ世で過ごした世代で、父からは「自分が東京の大学に進学したときは、『国費留学生』という扱いでパスポートが必要だった」、母からは「母校の野球部が特例で全国高校野球選手権に出場したけど、アメリカの植物検疫法に引っかかったので甲子園の土を没収された」といったエピソードを聞かされました。

 
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