今年で50歳になる同世代の人たちは、BTSをどう見ている?


ソウルでホームステイをした家は、丘の上の瀟洒な邸宅でした。梨花女子大学に通う姉妹が流暢な英語で歓待してくれました。アメリカにいる父親はコロンビア大学で教鞭をとっているとのこと。物知らずの子どもだった私は、韓国の人はきっとみんな日本よりも貧しくて遅れているのだろうという傲慢で誤った先入観を持っていました。しかし、自分よりも遥かに知的に洗練されたホストファミリーの生活に触れ、己の視野の狭さを思い知りました。今、彼ら彼女らは韓国でどうしているだろうとよく考えます。みんな、もう50歳。かつてのエリート層の若者たちは、おそらく今頃は社会の中枢を担う仕事についているでしょう。あるいは海外で働いているかもしれません。

あの若者たちもきっと、ソテジワアイドゥルを聴いたはずです。どこで、誰と聴いていたの? あれからの30年はどうだった? と、会って一緒に話したい。

韓国では90年代後半以降、新自由主義的な政策によって地域格差や経済格差、教育格差が急速に拡大し、今や若者は生まれた階層から移動することが望めなくなっています。親世代と違って今の若者たちは、人生のあらゆる選択肢を諦めなくてはならず、学歴以外で階層移動を叶えられるのは芸能人になることだけだと言われているそうです。
BTSはまさにそんな世代の、地方出身の若者です。93年に私が出会った学生たちは、もう高校生や大学生の親になっているでしょう。BTSの成功を見て我が子の未来に何を思うのか、あるいは私のように予期せぬ沼落ちをしたりしているのだろうかと、思いは巡ります。

グラミー賞で見事なパフォーマンスを果たしたBTS。写真/アフロ

BTSに至るK-POPの源流であるソテジワアイドゥル。彼らの音楽に熱狂した人々は、韓国社会の変化の文脈の上に、BTSの活躍を見ているのかもしれません。独裁政権時代を知らない子どもたちも、厳しい競争の重圧の中を必死に生きています。本来対極にあるヒップホップとアイドルを融合した「ヒップホップアイドル」という矛盾した存在であるBTSは、だからこそ幅広い世代の胸に刺さり、新しくも懐しい感慨を多くの人に与えるのでしょうか。

 


私は、当時の韓国社会での熱狂を知りません。ヒップホップやK-POPとの接点もほとんどありませんでした。それでもなお、時折BTSの音楽に郷愁のようなものを感じるのは、なぜなのでしょう。もしかしたら彼らの言葉の強く美しい響きの中に、あの釜山の学生の瞳や、ソウルの夜の語らいや、姉妹とのおしゃべりの記憶が、微かに蘇るからなのかな。謎は深まるばかりです。

『BTSを読む』では著者のキム・ヨンデ氏が、『I NEED YOU』を作曲したブラザー・スー氏とBTSの曲作りについて対談しています。

キム氏の「BTSを成功に導いた強みは何か」という質問にスー氏は、プロデューサーのパン・シヒョク氏や複数の作曲家が自由に意思疎通しながら、同時に一枚の大きな絵を仕上げるようにアルバムを作るので、曲同士の関連性やストーリーテリングが精巧になることを挙げています。世代の異なるプロデューサーや作曲家、さらにはBTSのメンバーが一緒に作り上げることによって、幅広い年齢の人に刺さる多彩な曲が生まれるのかもしれませんね。
 

次回は、いよいよBTS賢人を訪ねる旅の第一弾、『BTS オン・ザ・ロード』著者、ソウル大学教授のホン・ソクキョンさんとの対談です。どうぞお楽しみに!
 

彼ら抜きではK-POPは語れない! ソテジワアイドゥルからBTSまで
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文/小島慶子
担当編集/小澤サチエ
 

 


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