メタバースを豊かな知恵の場にするために


おりしも欧州連合(EU)は今年に入って、巨大IT企業に包括規制をかけるデジタル市場法(DMA)とデジタルサービス法(DSA)に合意しています。欧州委員会の競争政策担当コミッショナー マルグレッタ・ヴェスタヤー氏はこの合意によって「オフラインで違法なものはオンラインでも違法とみなされる。これはもはやスローガンではなく、現実だ。民主主義の復活だ」と述べています。これでオンライン空間がより安心できる場所になると。

 


大いに共感しながらそのニュースを見ました。“オフラインでダメなものはオンラインでもダメ”という当たり前のことが実現するまでに随分時間がかかりました。これが世界のスタンダードになることを願います。

果たして欲望渦巻く無法地帯となるのか、今の暮らしをより豊かにするものになるのか、まだその黎明期にあるメタバースについて、養老さんはどんな希望を見ているのでしょう?
「現在の環境をメタバースの中に記録しておくことが、後世役に立つだろう」と先生は言います。メタバースには、絶え間なく変わっていく世界を記録するドキュメントとしての機能があると。

先生曰く、終戦前後に米軍によって上空から撮影された日本の写真が、今とても役に立っているそうです。米軍が偵察目的で撮影した日本各地の詳細な写真は、当時の様子を伝える貴重な資料となっているのですね。

絶え間なく変化していく現実世界はどんどん上書きされてしまいます。森がなくなり街が広がり、新たな風景の出現と同時に生き物や文化が消えていきます。仮想空間にそれを記録していけば、写真以上にさまざまな活用ができそうです。

メタバース構想にもいろいろあって、完全に仮想空間に没入するタイプではなく、AR(拡張現実)技術を使って現実世界とデジタル世界を融合させ、リアルな人と人を繋ぐことに重点を置くタイプ(ポケモンGOなんかそうですね)を提唱している人もいます。また、衛星のデータを使って仮想空間に地球上の現実世界を自動生成し、その3Dデータを誰でも無料で使えるようにすると発表した企業も。

Googleのストリートビューで昔住んでいた家を探して「今こんな風になってるんだー」なんて懐かしがったりした経験は私もあるけど、そのうち目の前の風景に昔の街の姿を重ねて眺めたり、あるいは世界のどこでもアバターでてくてくと歩いて見て回ることができるようになるのかもしれません。養老さんの言った「現実を記録する」という機能はおそらくこうした技術によって実現可能なのでしょうね。

「では先生、メタバースの森でも虫とりするんですか?」
「うん」
「今はパンデミックで海外に虫とりに行けないですもんね。どこにどんな種類が棲んでいるなんて分布の様子も記録しておけるわけですね」
「それに虫捕りしたことない人が、メタバースでやってみたら面白かったって言って野原に出ていくこともあるかもしれないでしょう」
「現実世界での行動につながるきっかけ作りですか」
「そういう可能性はあるね」
「あの、自分が虫になることもできるんじゃないでしょうか」
「それもあるね。例えば雨なんか降ってくるでしょう。虫にとったら雨粒は巨大だからね。当たったら大変なことになる。それがどんな風に見えているのか体験することもできる」
「おおそれは面白そうです(先生の虫捕り器に吸われてしまう体験なんかもできるのかしら)」

養老さんは箱根に建てた昆虫館で、ゾウムシの各部を拡大してじーっと眺めたりしています。同じ種類でも住んでいる場所によって生殖器などの形が異なるのだそうです。例えば世界中の虫好きや研究者たちがそういう細かい記録を全てメタバースで共有したら、巨大なデジタル昆虫図鑑が出来上がりそうです。そして私たちは虫取り網を持って仮想空間の森をかき分けながら、鳥の視点にも虫の視点にもなることができる。

まだこれからどうなるかわからないメタバースビジネスの世界。でもどうか過去に学んで、使う人や子孫たちがより安全で豊かに生きていけるようにするための知恵の場にしてほしい。強者が弱者を食い物にする狩場にはしないでほしいと心から思います。
 

 


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