窓から見える人々の生活に「もののあわれ」を実感


一般病棟に移ってから3日後に、さっそくリハビリがスタートしました。私が受けたのは、おもに右脚の機能回復を目指す理学療法と手&腕のリハビリを行う作業療法、そして言語療法士による言語のリハビリです。

脚は、徐々に膝が曲がるようになり、左脚を酷使すれば歩けるように。専用の装具を脚につけ、杖を頼りながらの歩行でしたが、車椅子から立ち上がることができるようになったときは、すごく感慨深かったです。担当のナイスミドル理学療法士(妻は同病院の看護師らしい)が、毎回「昨日より良くなってますよ!」と励ましてくれ、一緒に喜んでくれるのが本当にうれしい!

手はというと、どんなに念じても命令しても、まったく動きません。指も手首も肩も肘も、うんともすんともいわないのです。寝返りをうったり、起きあがったりするときも「シーン」としたままなので、左手で「よいしょ」と所定の位置に持ってくる必要がある始末。「腕や手って、こんなに重かったんだ〜」と、このとき初めて知りました。

左足の上に乗せてみた、まったく動かない右手。見た目は倒れる前と何も変わらないのが切ない。

 

でも、好きな彼との微妙な関係に悩む若手作業療法士に「今が、一番悪いんです。これ以上は悪くなりません、よくなるいっぽうです!」と力強く言われて、目からウロコ。がぜん、頑張る気になりました。

言葉は、最初こそ口が思うように動かず、ものすごくたどたどしかったのですが、徐々にはっきり発音できるように。しかし、S体質のツンデレ言語療法士さんに渡された詩のプリント「落葉松」by北原白秋の音読は、なかなか難儀でした。それに、右側の口角が下がったままであり(悲)、ご飯も食べにくい状態。まさに「入院生活は寂しかりけり」、「世の中よ あわれなりけり」!

急性期病院では、とにかくいろいろな検査を受けました。採血はしょっちゅう、CTスキャンにMRI、眼科での検査、心電図……。

とくに大変だったのは、カテーテルを太ももの付け根から挿入して造影剤を血管に流し込み、X線撮影をして血液の疾患を調べるという血管造影検査。全身を拘束された状態で長時間(と私には感じられた)我慢するうちに、頭は痛いし気持ちは悪くなるし、かなりきつかったです。

 

そうした検査を経て“どうやらこれ以上出血は広がっていないし、当面危険はないようだ”ということに。いよいよ、急性期病院の卒業が見えてきました。

「転院先、決まりましたよ」と主治医に告げられた転院日は、8月11日。あと10日ほど、この病院にお世話になることになります。

急性期病院の一般病棟では、同室の患者さんがどんどん入れ替わっていきます。そしてあるとき、部屋の人々が私以外全員退院したタイミングで、ベッドが窓際に移動になりました。

本来はベッドの移動は難しいとのこと。そこをなんとか融通してくれた看護師さん、本当にありがとうございます! 

晴れて、10階の窓からの眺望を手に入れた私。

 

日々見えるのは、散歩をするおじいちゃんや三輪車をこぐ幼い男の子とそのお母さん、駅へと急ぐビジネスマン、ベランダで洗濯ものを干すおばさまなど、「普通の人たちの普通の暮らし」です。

つい先日まで、自分もそんな生活をする一人だったのになあ……、と悲しい気分になることは正直ありました。子どもたちを思って、身も世もなく泣いてしまったこともあります。

けれども、病気になったとはいえ「私は私」で変わりはありません。「言葉がしゃべりにくくても、手足が動かしにくくても、私が私であるかぎり、子育てはできる!」と、自分に言い聞かせたのでした。

次回は、リハビリ病院への転院と、残してきた子どもたちや夫のことについてレポートします。

文/萩原はるな
写真/萩原はるな、Shutterstock
構成/宮島麻衣

 

 

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