子どもたちの手を握りながら、回復を強く決意!!
 

そこに颯爽と降臨したのが、わたしの母です。

私の実家は、車で1時間40分ほどの距離にあります。にもかかわらず78歳の母が、車を飛ばして週に一度、2〜3泊して子どもたち(と夫)の炊事洗濯をやりに来てくれたのでした。

思えば子どもの赤ちゃん時代、ろくろく産育休を取らなかった私は、「突然熱が出た〜」と母をしょっちゅう緊急呼び出ししていました。コロナで2年以上家に来てもらっていませんでしたが、背に腹は変えられません。

「ばあばが来て、ハンバーグ作ってくれた。お母さんと同じ味だったよ」と娘からメールが来たときは、感謝とさみしさなどの感情がどっと訪れて、病室でひとり涙してしまいました。

家族と2週間ぶりに会えたのは、リハビリ病院への転院の日です。

転院の日、あまりにも嬉しかった私は、5時起きで身支度を整えはじめました。病院の入院着を脱いで、普通の服を着るのは、なんと久しぶりだったことか。右手と右脚が思うように動かなかったため、ものすごく時間がかかりましたが、「自分の服」がこんなに嬉しいものだとは!

夫が予約してくれた「介護タクシー」は、車イスのまま自動で乗り降りできる優れもの。「私が押す!」「僕が!」と娘と息子が競いながら車イスを押してくれ、さっそく乗り込みます。

 

「お母さん、手はどのくらい動く?」「脚は?」と二人いっぺんに聞かれ、「ああ、これこれ。懐かしい〜」と感慨にふける私。毎日、我先にと私に話しかけては、「私が先に言った!」「僕だった!」とケンカしていたっけなあ。

 

転院先の病院は、車で30分ほどの距離。渋滞していて時間はかかったはずですが、あっという間に到着してしまいました。

介護タクシーを降り、入院手続きをしにエントランスに向かいます。ここから先は、コロナ対策で子どもたちは入れません。

別れ際。「お母さん、頑張ってね!!」と、子どもたちがそれぞれ、動かない右手をぎゅっと握ってくれました。ここまで後ろ髪をひかれる思いをしたことは、いまだかつてありません。心底、一緒に帰りたかった……。

これから、数ヶ月にわたる入院生活が始まるんだーー!

またしても、手を振り続ける子どもたちに手を振りながら、私はリハビリを頑張る決意を固めたのでした。
 

次回は、リハビリ病院での生活や後遺症の様子、リハビリについてレポートします。

文/萩原はるな
写真/萩原はるな、Shutterstock
構成/宮島麻衣

 

 

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