いつも通りの夏の日曜日に、突然の脳卒中で倒れたのは、48歳2児の母でありフリーライターの萩原はるなさん。救急車で急性期病院に運ばれ、予兆も準備もまったくないまま入院生活が始まりました。

 

なぜ自分に、こんなことが起こったの? 後遺症は? 突然の事態に自分なりに向き合いながら、治療やリハビリに励む日々をレポートします。

 

連載第1回 48歳2児の母、突然脳卒中で倒れた日「右手右脚が動かない」>>

連載第2回 脳卒中で倒れた48歳女性のリアル入院生活「仕事、家族は?思い当たる原因は?」>>

連載第3回 脳卒中の涙のリハビリ...回復に役立った意外な趣味【48歳ワーママ闘病記】>>


コロナ禍で家族と面会できず、ガラス越しに手を振るのみ
 

7月25日、よく晴れた夏の朝に脳出血で倒れてから約2週間。お盆休みの直前の8月11日に、私は急性期病院からリハビリ病院に転院することになりました。

思えばこんなに長く、夫や子どもと離れたのは初めての経験。折りしもデルタ株が猛威を振るっていた時期だったので、病室に家族を迎え入れることもできませんでした。

小学校3年生の息子と最後に会ったのは、倒れた当日。野球場に送っていき、「ビーチボールバレーが終わったら迎えに行くからね」と伝えたきりでした。朝の弱い小学校6年生の娘は、野球の練習に出かける早朝にはまだ寝ていて、チラッと寝顔を見ただけ。

入院後はというと、週に3回ほど、家族が病院に荷物を届けにきたときに顔を見られるチャンスがありました。エレベーターホールにいる子どもたちに、ガラス越しに手を振りながら、LINE電話で話をするのです。

すぐそばにいるのに、直接話せないもどかしさったら……。閉じていくエレベーターのドアの隙間から、いつまでもいつまでも手を振っている子どもたちの姿を見ると、いつも涙が溢れてきました。

夫から送られてきた二人の姿。いつも、この間に寝ていたんだなあ、と子どもたちの体温を懐かしく思い出します。

私が倒れた日、夫が病院から帰ると娘は家で待っていて、とても心配していたそう。「お母さんが、脳の病気で倒れた。しばらく帰れないし、右半身に後遺症が残るらしい」と夫に聞いた娘は、「でも、生きてるだけでいいじゃん」とポツリといったそうです。

息子は、何も知らず大好きな野球に夢中でした。夫が急きょ迎えにいくと、「なんでお母さんじゃないの?」と驚いた様子。事情を聞くと、「えっ、そうなんだ。ふーん」と妙に冷静だったらしいです。多分、突然想定外のことを告げられ、現実のこととは思えなかったのでしょう。

ただ、いつももりもり晩御飯を食べる夫と子どもたちが、その夜はほとんど何も食べられなかったと、後から聞きました。