当然のことですが、民主国家において個人の自由は絶対的に保証されるべきものであり、個人の領域に国家権力が介入することは許されません。しかし「個人の自由」というのは、あくまでも民主国家における価値観であって、そうではない国がたくさんあります。

例えば、シンガポールは議会もあり民主主義の国とされていますが、その内実は、私たちが考えるような民主主義の社会とは少々異なります。恋愛や結婚は自由ですが、政府は国民に対して、正しい人生設計(恋愛や結婚)のあり方について、積極的に介入しています。

同国では、男性がある年齢を超えて独身でいると、どいうわけか、次々と恋愛コンサルタントや結婚コンサルタントから連絡がやってきます(政府が対象国民をリストアップしている)。そして、身なりや話し方など、手取り足取り、上手な恋愛と結婚ができるよう指南してくれるのです。これは政府が行っている恋愛支援、結婚支援策で、コンサルティング会社には政府が費用を支払っています。

写真:Shutterstock

あくまで、コンサルタントが個別に営業して、希望した人だけが指南を受けるという仕組みですから、行動を100%強制されているわけではありません。しかし、政府が全面的に乗り出している以上、対象となった国民には、かなりのプレッシャーがかかると思われます。当然ですが、政府への批判は原則として許されません。

 

シンガポールはこうした全体主義的な傾向が顕著な国ですが、日本よりも所得が高く、子育てや就学の環境は極めて良好で、子どものために日本から移住を希望する人がたくさんいます。

生活の質が高ければ、多少、自由が制限されてもよいという価値観は理解できますが、一方で、ひとたび自由を失った国がそれを取り戻すのはほぼ不可能です。

日本でも、近年、国家権力を強化しようという動きが様々な分野で顕著となっており、家族や結婚のあり方について法律で規制しようという動きも見られます。今回のケースがこうした動きと連動しているのかは分かりませんが、少なくとも、個人の領域に政府が関与することへの抵抗感が薄れているのは間違いないでしょう。

日本の経済力が著しく低下している今、私たちはどのような社会を構築すべきなのか、原点に立ち返って、真剣に考える必要がありそうです。
 

 


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