「身分制度」を彷彿とさせる「育ち」という言葉


冒頭にも触れたとおり、「育ちのよさは後天的に身につけられる」、つまり振る舞いは変えられるという前向きなメッセ―ジは感じます(育ちのよさを手に入れられるという斬新なパラダイムシフト! に対するツッコミは一旦置いておいて)。ですが、古い言葉で言うならば「身分制度」を彷彿とさせるような「育ち」という言葉に、拒否反応を示す人が少なくなかったのかもしれません。

「育ち」がよく見える振る舞いは、「思いやり」があるだとか「気遣い」ができると思われる振る舞い、という風に言い替えもできるはずです。ただ、市場に流通させる以上、本書のようにアイキャッチで、インパクトのあるタイトルのほうが多くの人に読まれやすいという点は、理解はできます。


不安を煽ったほうが興味を引くという現実

 

というのも、こういったタイトルはネットニュースなどでもよく使われるのです。「もう古い・時代遅れと思われるメイク・ファッション!」とか、「体が汚れる食べ物!」などがその一例でしょうか。他にも「〇〇を平気でやってしまう人が見落としがちな〇〇」というような、読者を少し煽るようなタイトルはよく目にしますし、そうしたタイトルの記事が反発を招きながらも、アクセスランキング上位に入っているのも事実です。

 

「そのメイクはもう古い!」というタイトルは「ニューノーマルなメイクは〇〇」という切り口に変えることもできるわけですが、あえて読者の焦燥感や不安を煽って、「ヤバイ、〇〇だと思われたくない」という気持ちにさせる書き方をする方が、クリックされやすいのかもしれません。

そう考えると、「育ち」がいい人「だけ」が知っているという言葉選びには、「育ちがよくない」と思われたくないという人々の不安を煽る効果がありそうです。