「自分は選ばれた側にいたい」という気持ちが分断を生む

不安や分断を煽る「育ちのいい人」という言葉。ある本に感じた「マナーで人を選別する」ことの危うさ_img0
 

特定の層を排除して(貶めて)自分は特別だと思われたい、上位の属性にいたいという気持ち。"排他的"な"選民意識"が働くようなワードを持ってきて不安を煽り、社会を分断する。「育ちのよさ」という言葉は、まさにそんなワードではないでしょうか。

他人に対する思いやりや気遣いのためのマナーを「育ちがいい」という言葉に回収することで、育ちがいい人、育ちがよくない人という判断基準を生み、暗に育ちがよくない人を選別する材料を与えてしまっているようにも思えます。こういう時〇〇をするのが育ちがいい人、ということは、〇〇しないのは育ちがよくない人と言っているようなものですから。インパクトが大事とはいえ、こういった分断を煽るものを見るとちょっと心がざわつきます。

 


誰にも見えない下着で「育ち」はわかるもの?


タイトル以外にも、疑問に思うところがありました。「万が一病院に運ばれても恥ずかしい思いをしないアンダーウェア、ランジェリーを意識しておきましょう」という項目です。

実はこれ、筆者も大学の友人に言われたことがあるのです。当時苦学生だったために新しい下着が買えず、よれた下着を身に着けていました。ゼミ合宿のお風呂でそれを目撃され、「コードブルーみたいに、倒れたとき山Pみたいな人に下着見られたらどうするん」と言われ、後日下着屋さんに連行されたのです。