それまで生きた証を慈しみ、感情を共にする

若年性アルツハイマーの診断が下されて東大を早期退職後、2006年〜2008年まで夫婦で移り住んでいた沖縄。美しい景色を見ながら、ふたりはよく散歩を楽しんだ。

――だんだん意思疎通が取りづらくなって、たとえばご夫婦や家族の思い出について、晋さんと話せなくなることにさびしさは感じませんでしたか。

克子 昔から忙しい人でしたからね。認知症になる前もそんなに、思い出を語り合うこともなかったんですけど(笑)。ただ、認知症になってからはことさら「あれ覚えてる?」とは聞かなかったですね。覚えているかもしれないけど、恥をかかせちゃいけないかなって。でもね、近所の公園をふたりで散歩していたとき、夫がパッと一瞬すれ違った人を見て、「あの先生、獨協の○○科の○○先生だよ」って言うもんで、私びっくりしてね。脳がどうなっているかわからないけれど、そういうこともあるんですよね。

真也 僕ら子どもも、父が話せなくなってからは、父の知っている昔の話を父の耳に入るように話していたりしたんです。本人は話せないですけど、思い出してはいると思うんですよね……。70年以上生きてきた歴史は失われないですし、子どもに戻るわけじゃないんです、たぶん。だから、周りが思い出を話しているぶんには、いいんじゃないかなって。

――会話という形じゃなくたって、一緒にいることで分かち合えるものがあるということですね。

克子 介護しているときもね、夫が2〜3日お通じが出ないとお薬を飲ませたり、お腹をさすったりしていたんですけど。お通じがあるとね、私もすっごく嬉しいんです。「よかった! よかったね、晋さん!」って。本人がしゃべれなくたって、そういう感情を共にするっていうのは、やっぱり嬉しいことですよ。

『東大教授、若年性アルツハイマーになる』
著者:若井克子 講談社 1540円(税込)

認知症患者800万人時代がくると言われる日本。元脳外科医で東大教授でもあった若井晋さんが自身の若年性認知症を受け入れ、公表をしたことは、同じ病と戦う当事者と家族に大きな勇気を与えました。50代半ばで認知症になってから74歳でこの世を去るまで、すぐ側で寄り添い支えてきた妻・克子さんが、認知症になった夫と家族の時間を、ありのままに綴ります。



取材・文/金澤英恵
 

 

 


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