男性が約10年で、女性は約12年。これは日本人の平均寿命から健康寿命を引いた数字です。健康寿命とは健康上の問題がなく、自立して日常生活がおくれる期間のこと。つまり、死ぬまでに10年前後の寝たきりや認知症など介護の必要な期間が生じることになります。

最期まで元気に自立した人生を送るためにはどうしたらよいのか。米マウントサイナイ医科大学病院の老年医学科専門医、山田悠史先生が新著『最高の老後 「死ぬまで元気」を実現する5つのM』で掲げるのが「5つのM」です。

5つのM

Mobility……からだ(身体機能)
Mind……こころ(認知機能、精神状態)
Medications……くすり(ポリファーマシー)
Multi-complexity……よぼう(多様な疾患)
Matters Most to Me……いきがい(人生の優先順位)

2017年にカナダおよびアメリカの老年医学会で提唱された指標で、アメリカの老年医学界ではこの5つのMが、高齢者を診療する際の基本指針にされているといいます。

著者の山田悠史先生。去年の4月から1年間かけてミモレで連載した「最高の老後」を、忙しい仕事の合間にじっくり加筆・修正をして、今回1冊の本にまとめました。

「私が所属しているマウントサイナイ医科大学病院の老年医学科は世界でも最大規模なのですが、ここでは日々の診療も、研修医や医学生の教育の場面でも、5つのMを頻繁に活用しています。私は患者さんもこの視点を持つことが大事だと考えます。病院にかかる時は、どうしても目の前の症状、病名にとらわれてしまいますよね。でも、人間の体はたくさんの臓器や骨、筋肉からできています。特定の症状に集中し過ぎてしまうと、他で生じている不調を見逃してしまう恐れがあるのです」

例えば、腎機能が低下すると心臓や血管にも負担がかかる。つまり、腎臓の病気だからといって腎臓ばかりに意識を置いてしまうと、腎臓は守れても心臓を悪くしてしまう可能性があるそう。

また、心臓を守るためにベッドに横になって過ごすことで、足腰が弱くなってしまう場合もある。こうしたことが高齢になるほど起こりやすくなるのだと山田先生はいいます。

老化の速度は人それぞれ


「足腰も臓器も加齢にともなって老化するために起こりやすくなるわけですが、一方で、私は『老化』に対する考え方にも偏りがあると感じています。老化といえば皮膚のしわや認知機能の低下ばかりが注目されますが、実際はそれだけではなく、プロセスもスピードも人それぞれ。60代で寝たきりになる方もいれば、90歳を過ぎても元気に歩いている方もいるのです」

それなのに、日本は高齢というだけで治療の選択肢を制限したり、回避したりしてしまう傾向があるとか。山田先生がアメリカで最先端の老年医学を学んだのは、こうした日本の高齢者医療の現状に違和感を覚えたためだそう。

米国老年医学会の学会にて。

「5つのMは思い込みや一般論による偏った判断を防ぎ、その人に合った治療をするための指標であり、『最高の老後』ではそれぞれのMについて詳しく説明しています。5つのMを通して自分の体や治療について多角的に見ることができれば、医師に疑問をぶつけ、より自分の価値観に合った治療を受けることができるようになるはずです」

山田先生は、そもそも治療には医師、看護師、薬剤師、そして患者が一体となった「チームワーク」が重要だといいます。

「多くの方は医師が指示し、患者はそれに従うものだと思われているかもしれません。しかし、患者さんも治療チームの一員であることをしっかり認識してほしい。自身の問題なのだから指示を待つのではなく、治療方針を決めるメンバーの一員として考え、アクションを起こすことが大切です」

かかりつけ医の存在が老後の強い味方に


そのために重要なのが「かかりつけ医」の存在です。新型コロナウイルスの感染拡大下での医療体制の問題を受けて、日本でもかかりつけ医の制度化の声があがっていますが、アメリカでは健康に問題が生じた場合は、まずかかりつけ医の診断、治療を受け、必要に応じて他の専門医へ紹介されます。

「アメリカでは健康診断もかかりつけ医のもとでしか受けられないので、医師は患者さんの健康状態を定期的に診ることができます。しかも、私がいるニューヨーク州ではカルテがアプリ上で開示されるようになり、そこでメールのやりとりも可能です。つまり、医師と患者さんがカルテを共有し、気になる点はメールですぐに聞くことができる。双方の距離が近く、信頼関係の築きやすい仕組みができています」

NYのクリニックの医師用ワークルームで同僚と。

薬局も同様に重要です。高齢になると複数の持病を抱える人が多く、飲む薬の量も増えます。これを複数の薬局で処方すると薬の重複や、薬の副作用を新たな症状と誤認してさらに薬を処方してしまう「処方カスケード」が起こりかねないのです。

かかりつけ医、かかりつけ薬局と信頼関係のもとで築かれたチームワークこそが、ミスを減らすことに大きくつながると山田先生はいいます。


科学的根拠のない健康情報に警鐘を鳴らしたい


そしてもう一つ、山田先生が重要視しているのがエビデンスです。『最高の老後』は255本の論文をもとにまとめられたものです。読んでいて気づくのが「~かもしれない」「~できる場合もある」といった非断定の表現。実はこの表現にこそ山田先生のメッセージが込められています。

「読んでいる方からすると、もどかしく感じるかもしれません。しかし、科学で一つの真実を導くには膨大なステップが必要。いくつものエビデンスを重ねて真実へと近づいていく、非常に難しい作業なのです。それなのに、一つの研究結果だけを引用して『認知症に効く』『しわを改善する』と書かれたサプリメントなどの誇大広告を目にします。これはとても危険なことであり、こうした文言に惑わされて悪影響を受けてほしくないので、本書ではそうしたサプリメントの意義やその科学的な根拠についても解説しました。本全体で、エビデンスの出典を記載し、言い回しにも最大限の注意を払っています」

NYのクリニックの診察室で。


老後のために、今すぐできることがある


エイジズム(年齢差別)のように、歳を重ねることを悪いことのように捉える人もいます。しかし、生きている以上、誰しも歳は重ねるもの。『最高の老後』は高齢の人のみならず、30代、40代の若い世代の人たちにも読んでほしいと山田先生。そこには今まで出会ってきた患者への思いがあります。

「多くの患者さんを診療するなかで、私は彼らの後悔や、やりきれない思いにも直面してきました。医師としてどうすることもできない無力感に苛まれながら、もし20年前、30年前に気づき、予防をしていれば違った結果になっていただろうと思ったことも一度や二度ではありません」

高血圧や糖尿病に代表される慢性疾患など、病気の中には症状が出にくいものもあります。そして表面に出ないまま体を蝕み続けて、気づいた時には手遅れだということも少なくないそう。だから予防が大事なのですが、何が悪いことなのかわからなければ予防を実践し続けるのはなかなか難しい。

「本書が生活習慣や日々の行動を見直すきっかけになり、それによって知らないうちにその人の未来を助けることになってくれたら、と思いながら書きました。私は最高の老後には『Matters Most to Me=いきがい』が最も大切だと思っています。それはつまり、自分らしく生きること。5つのMを通して、自分の納得のいく老後について考えてもらえたら嬉しいですね」

<新刊紹介>
『最高の老後 「死ぬまで元気」を実現する5つのM』

著:米マウントサイナイ医科大学 米国老年医学専門医 山田悠史
定価:本体1800円(税別)
講談社

6月24日発売
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高齢者の2割には病気がないことを知っていますか?
今から備えればまだ間に合うかもしれません。

一方、残りの8割は少なくとも1つ以上の慢性疾患を持ち、今後、高齢者の6人に1人は認知症になるとも言われています。
これらの現実をどうしたら変えられるか、最後の10年を人の助けを借りず健康に暮らすためにはどうしたらよいのか、その答えとなるのが「5つのM」。
カナダおよび米国老年医学会が提唱し、「老年医学」の世界最高峰の病院が、高齢者診療の絶対的指針としているものです。

ニューヨーク在住の専門医が、この「5つのM」を、質の高い科学的エビデンスにのみ基づいて徹底解説。病気がなく歩ける「最高の老後」を送るために、若いうちからできることすべてを考えていきます。


取材・文/中川明紀
構成/松崎育子(編集部)
 

 

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