妊娠すると女の体は“公の場所”になる。


日本では初潮を迎えると赤飯を炊きます。私にはその意味がわかりませんでした。なんで私が毎月股間から出血するようになったことを、家族が祝うのか。体が成長したのは嬉しいけど、戸惑いや不安もありました。だからなるべく、そっとしておいてほしかった。なのに、赤飯て……これ、誰のためのお祝い? こんな罰ゲームいらない、と思いながら食べたのを覚えています。
あの時、私の体はオオヤケのものになったのです。日本の人口を増やすための国家の財産になったのですね。だからお祝いするのです。家父長制の時代から、女性の体はイエのものでした。明治憲法では、法的にも女性は男性の所有物の扱いだったのです。

家父長制とその残滓は、世界中に色々な形で今なお残っています。以前、動画アプリで「みんな、妊娠している私のお腹を勝手に撫でないで!」という海外の投稿を見ましたが、その気持ち、よくわかります。初めて妊娠した時、会社のエレベーターや廊下で、「随分出てきたねえ」などといきなりお腹を撫でる人たちに出くわしました。そこ、私の下腹部だった場所……っていうか今も私の体なんですけど、なんでいきなり無断で撫でる? とたまげました。
そして「そうか、妊娠すると女の腹は女の体の一部ではなく、公の場所になるんだな」と気付いたのです。中に子供がいると、社会のものになる。だから“祝福”を込めていきなり撫でるのですね。「おおー、おめでとー(なでなで)」「あ……ありがとうございます(勝手に触るな。しかもあんたの子でも孫でもないし)」というやりとりを一度ならずしました。

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そんな一方的な祝福をされるにもかかわらず、当時電車で席を譲ってくれる人はおらず(本当に一度もなかった)、出産してからはなぜか母親というだけで世間に迷惑をかけているという位置づけで「すみません」「ごめんなさい」とビクビクしながらの子連れ移動。子連れ女性は「世間様のヨメ」と認識されているらしく、見知らぬ人に説教されることも。
夫婦で歩いていたとき、幼い息子が狭い車道でひっくり返ってゴネ始めたので咄嗟に安全確保をした夫を見た通りすがりの年配女性は、私の方を見て「あら、虐待? 私は幼稚園の教諭でしたが、あなたのような母親が増えたから……」と非難しました。事情も知らずに虐待と決めつけ、父親には言わず母親にだけ説教する。こちらとしては「あなたのような人がいるから、子どもを産むのが嫌になる若い人が増えるんですよ」と言い返したいところでしたがめんどくさいので「さすが元先生ですね」などと自尊心ケアワークを無償で提供。ご満足頂いてお引取り願ったのですが、母親ってどんな奉仕ロールな訳? と実に暗澹たる気持ちになりました。

 

一人目の育休明けに出社した日、エレベーターの中で最初に会った人には「子供は保育園? かわいそうに」と言われました。二人目の育休明けに共演した政治家たちからは「じゃあともう一人、産まなきゃね」と言われました。