賃金が上がらない理由③――独特の雇用慣行


また、労働分配率を引き下げている別の大きな要因として、正社員と非正規社員との賃金格差が挙げられます。

2020年時点で、日本の非正規雇用労働者は2090万人(総務省「労働力調査」)。被雇用労働者全体のうち37%を占めますが、正社員と非正規社員との賃金格差は、額面においても昇給率においても明らかに存在しています。景気の良し悪しにかかわらず非正規社員の賃金が低水準にあるという構造は、デフレ脱却の観点からも修正すべき点です。

同時に、大企業などでは正社員の解雇がしにくいことも、企業が賃金を簡単に上げにくい理由になっています。なぜなら、一度上げた賃金は下げにくいからです。この点、アメリカは法制度的に解雇が非常にしやすいので、経済が良いときには給与を高く設定して良い人材を集め、本人か会社のいずれかが立ち行かなくなってきたらさっさとクビを切る、ということも容易です。

さらにアメリカとの比較で言えば、さまざまな職種が「総合職」として一括され、賃金格差が少ないことも、日本の独特な雇用慣行のひとつと言えます。アメリカの場合には、エンジニア、研究、営業、人事など「職種」ごとに労働市場が決まっています。日本では「会社」ごとの新卒一括採用なので、学生にとっては「どの会社に入るか」ということが重要になりますが、アメリカでは「どういう専門性を追求するか」のほうが遥かに大事です。

そして、年功序列ではないですから一つの企業に長くいる必然性はなく、むしろ待遇や専門性を高める方向にキャリアアップすることが自然な流れになってくるわけです。

 


終身雇用・年功序列の功罪とは?


ちなみに、いま「日本式」と呼ばれることの多い「終身雇用・年功序列」や、ジェネラリスト育成を目指す一括採用は、実は第二次世界大戦後に一般化された、比較的新しい仕組みだと言われています。むしろ大正時代などは今のアメリカに近く、専門性をもった職人たちの流動性は高かったのです。

もちろん、安定して給料が上がり、解雇されにくいほうが、安心して将来設計ができるという利点もあります。しかし右肩上がりの高度経済成長期ならまだしも、成長が望みにくい日本の現状では、単に給料が上がりにくいだけでなく、「チャレンジするより失敗しないように振る舞うほうがマシ」という負の側面が強調されてしまうことは否めません。

固定化された人間関係が、過度に「空気」を読むことを求めたり、いま問題になっている職場のハラスメントが起きやすくなる一因にもなり得ます。業務以前に人間関係でストレスが生じていては、仕事の生産性は下がります。これだけグローバル化した世界において、もはやこうした仕組みは変えるべきでしょう。

 


著者プロフィール
永濱利廣(ながはま としひろ)さん:

1971年、群馬県生まれ。第一生命経済研究所首席エコノミスト。早稲田大学理工学部工業経営学科卒業、東京大学大学院経済学研究科修士課程修了。1995年に第一生命保険入社、日本経済研究センターを経て、2016年より現職。衆議院調査局内閣調査室客員調査員、総務省「消費統計研究会」委員、景気循環学会常務理事、跡見学園女子大学非常勤講師。2015年、景気循環学会中原奨励賞を受賞。著書に『経済危機はいつまで続くか:コロナ・ショックに揺れる世界と日本』(平凡社)、『MMTとケインズ経済学』(ビジネス教育出版社)など多数。

 

『日本病 なぜ給料と物価は安いままなのか』著者:永濱利廣 講談社 924円(税込)

低所得・低物価・低金利・低成長の「4低」=「日本病」に喘いでいる現代の日本。この閉塞的な状況が続く原因を、気鋭のエコノミストが様々な角度から分かりやすく解説します。そこから見えてくるのは、悪いことばかりでもないという意外な真実。新聞やTVが伝えるイメージとは一線を画す、リアルな日本経済を知ることができます。


構成/さくま健太