『かさね』と「尾上右近」と「清元栄寿太夫」 

 

実は、右近さんには歌舞伎俳優のほかにもう一つの顔があり、清元の太夫(たゆう。浄瑠璃のボーカリスト)として「清元栄寿太夫」の名で活躍されています。右近さんの父は清元のお家元、七代目清元延寿太夫です。

 


ーー『かさね』は、右近さんにとってどういう作品ですか?

右近 『かさね』は清元の曲としても愛され、大事に引き継がれてきた大曲であり、また音羽屋にとっても大切な出し物。清元と役者、僕の二つのルーツにゆかりのある演目ですので、僕もとても愛着があります。


右近さんの曽祖父は、近代を代表する名優・六代目尾上菊五郎。また右近さんが師事するのは当代の尾上菊五郎さん(七代目)です。『かさね』は、江戸時代の初演時も、また一度上演が途絶え大正期に復活された際にも、尾上家の俳優と時の清元延寿太夫が手がけました。清元の家元の家に生まれ、尾上家の俳優でもある右近さんにとって、大切に思うのは、自然なことかもしれません。

ーー文楽人形は人間の半分か、大きくても7割ほどの大きさだと思いますが、それによるご苦労や、逆に小さいことによる効果は?

右近 以前、(坂東)玉三郎のお兄さんが、辻村ジュサブローさんの人形となさった『二人椀久(ににんわんきゅう)』という踊りの映像を見たことがあるんですが、そんなに違和感はなくて、むしろ色っぽいんですよ。「南くんの恋人」みたいになっちゃってるんですけど(笑)、それが人間同士以上に色っぽい。なので人形とやるなら色事だなって思っていました。

先日、簑紫郎さんのお遣いになっているかさねと対面したんですが、人形というよりは、簑紫郎さんの魂と一緒にやっている、というような感覚なんです。かさねの髪と僕の肌がフッと触れた瞬間、もう紛れもなく“恋人”で。不思議な感覚でした。

ーー人形遣いさんと人形が同じ一つの人格を共有して、いったいどちらが主なのかもはや分からない。そういう存在が二つ、舞台空間で絡みあう……。文楽の、特に色事の演目ではそうした場面が確かにあるように思います。今回はその一方が、人間の右近さんになる、ということですね。

右近 それを『かさね』というストーリーにのせてお見せした時に、きっと新しい感覚を感じていただけると、僕は確信しています。

自主公演 第六回『研の會』記者発表にて。サービス精神旺盛な右近さん、カメラマンに「やってほしいのあったらなんでも言ってくださいね」と声を掛け、リクエストに応えてガッツポーズするお茶目な一面も。


「実盛」への憧れ
 

もう一つの『実盛物語』は、義太夫狂言の時代物。「時代物」とは、歌舞伎ができた江戸時代から見た「時代劇」で、古代から平安、鎌倉、南北朝時代等の朝廷や武家の世界を舞台にしています。

ーー『実盛物語』を選ばれたのは?

右近 僕は女形の役をいただくことが多いので意外に思われるかもしれませんが、いつかやらせていただきたいお役でした。実盛は、男として理想的な人間像。(研の會のイメージビジュアルを指して)この生締(なまじめ)のかつら、憧れでした。

尾上右近 自主公演 第六回『研の會』メインビジュアル


歌舞伎の髪型は、人物の属性だけでなく性質も表しています。生締のかつらは「まっとうな武士がする、一糸の乱れもないまじめな髪型」で、「分別がある」「情理を兼ね備えている大人の男性」というサインです。

ーーどなたの教えを受けて、このお役を演じられますか。

右近 師匠の菊五郎のおじさまにお稽古をつけていただきます。実際に教えていただくのはこれからですが、「いやー、あれはしんどい役だよ」と。実盛は、一度登場したらずっと舞台の上に立ち続けて引っ込まない。こういう役は珍しいです。

もともとは源氏に仕えていたけど今は平家方にいるという設定で、狭間に生きている役なんです。本当のことは口にできない。そういう時が人間にはあると思うんですけど、その状況の中で、秘めた思いを貫いて生きる、行動する。それが実盛。

実はそれが、僕が常々抱いている菊五郎のおじさんの印象と重なる。“秘すれば花”ではないけれど、口に出したら野暮になってしまうことを、言葉ではない何かで伝えてくださるというような。粋というか、そういうかっこいい部分も、おじさまから勉強させていただけたら嬉しいなあと思ってます。