『実盛物語』のクライマックスは「物語」です。物語とは、劇中、以前に起きた出来事を他の登場人物に語って聞かせるパートのこと。音楽もうまく使って皆(話を聞いている登場人物も観客も)がありありと、その場にいるかのように体感できるように、聞かせます。また、先の結末を予言するように語る場面もあります。

 


ーー「物語」のかっこよさは、どういうところだと思いますか。

右近 実盛の生きる武士の世界って、自分の思うようにはいかない。恩があれば義理もあり、通すべき筋があって、運命もある。でも“自分の意思を通すだけでは生きていけない状況で、どうバランスを取っていくか”というのは、武士に限らず、人間にとってすごく大事なことだと思うんです。

例えば歌舞伎の世界でも、先輩から「あのシーンはこういうふうにやった方がいいよ」とアドバイスをいただいて、それでやっていると、また違う先輩が「あれ、どうしてああやってるの?こういうふうにやったほうがいいよ」と言ってくださる。板挟みになる、というようなことがあるんです。こういう時に、二人の先輩にどう納得していただくか。教えていただいたご恩をどちらにも返せるような形をどうやったら取れるかという、重要な修業だと思っています。

社会ってそういうものだと思うんです。いろんな人に助けてもらって、いろんな人にちゃんと恩を返しながら、自分のやりたいことをやっていくというのは、みんなやってることですよね。嫌な上司がいるからって会社を辞めるわけにはいかないし、“誰も敵はいません”なんてこと、ないと思うんです。そんな中で、じゃあどうするか。人に変わることを求めてもしょうがない。自分が変わらなきゃいけないというのは、人間誰しも、意識しててもしてなくても、やってることだと思うんです。

実盛はそういう心を持っている男性だと思う。そのかっこよさを感じてもらえたらと思いますね。


ーー「物語」のそうした印象は、これまでご覧になった実盛から感じられたものですか?

右近 子供のころ、『実盛物語』に子役として出たことがありまして、実盛は当時勘九郎でいらした、十八代目の中村勘三郎のおじさんだったんですけれども、その時に見た実盛の印象が強烈で。すごく“大きかった”んですね。右近を襲名してからは、菊五郎のおじさまの実盛を舞台袖だったり、花道の揚げ幕だったりから何度も拝見して、その時にも、やっぱり同じことを感じたんです。

だからそれは、実盛という人物の大きさだと思うんです。実盛の巨大な人物像みたいなものを、いま30歳の自分が少しでも体現できればいいなと思います。

 


僕の役者道


ーー実は今日、実盛のメインビジュアルを拝見して、十八代目の勘三郎さんが、一瞬、二重写しになって見えました。

右近 最近、そう言っていただくことが増えましたね。初舞台から5年間ぐらい中村屋の舞台に出していただきましたし、匂いのようなものは近いのかもしれません。でも、実は、〇〇に似てるとか、△△っぽいとか、言っていただくこと、けっこう多いんです。蓄積されたものが自分の中で配合されて、“自分なりのその役”になっていくということが、少しは出来てきているんじゃないかなと最近は思いますね。音羽屋(菊五郎さん)に教わって中村屋(十八代目勘三郎)にも似ているっていうのは、そういうことだから。

ーーご立派です。

右近 いやいや、全然全然。だってそれが僕の人生だから。逆に言うと、ほかの家の人に似るって普通はなかなか起きないことだと思うんです。

ーーたしかに、歌舞伎俳優さんはお父様も歌舞伎俳優で、まずお父様に教わるというケースが多い。

右近 『連獅子』っていう、親子の物語の踊りは、実の親子で演じることが多いでしょう。

ーーあの、赤いのと白いのと、長い毛をぐるぐる振るやつですね。

右近 僕には親獅子が何人もいる。このことが象徴してると思うんですよね。最初の親獅子は(市川)海老蔵さん。その次が(市川)猿之助さんで、そのギャップにものすごい衝撃を受けました。そのあとに(尾上)松也さん、(尾上)菊之助さん。海老蔵さんからは「圧」を教えてもらい、猿之助さんからは「気迫」を教えてもらい。松也さんからは「愛」を教えてもらい、菊之助さんからは「義理」を教えてもらったっていう感じですね。

ーーすごいですね!

右近 こういう役者って他にはいないでしょう? それぞれの親獅子にそれぞれ似ている子獅子になる、それが僕の役者道なのかなと思いますね。