誰かの真似をしないことは大事!


中でも、流行に敏感で、影響を受けやすい人は、メディアや世間が作り上げた“理想的な人物像”に振り回されてしまいがち。
だから、インフルエンサーがもてはやされる現代、私生活を犠牲にしてでも、SNSでバズることを目指してしまう人がいるのでしょう。
ただ、誰かの真似をしている時点で、その人は“何者”にもなっていません。

さらに、“何者か”になるために、「自分以外の人間」になろうとする人は少なくありません。
そういう人は、自分で自己を認められていないからこそ、「別の人間になって輝きたい」と考えるのかもしれませんが、だとすればそれは間違っています。
私たちはまず、「自分自身でいること」が大切です。そして、誰の真似事でもなく、自分らしく輝くから、“何者か”になれる可能性が高まるのです。

つまり、「流行や世間の価値観に影響を受け、取り入れる(真似もする)人だからこそ、“何者か”になりたがるけれど、むしろそういう人は“何者か”になりにくい」という、残念な矛盾がそこにはあるのです。

 


“何者か”になることより大事なこと


さらに、メディアは、「こういう生き方がすてきだ」という印象を人々に与えることがあります。
でも、「どんな生き方がいいのか」の正解なんて、実際はありません。人それぞれ、価値観も好みも、人生において大事なものも違うので、たとえ世間から評価されるような人物になれたとしても、すてきな人生になるとは限らないでしょう。

それは、なぜかというと、本気で“何者か”になることを望む場合は、人一倍その能力を高めていく必要があるからです。誰しも時間と労力は限られているので、望みのためならそれらを優先的に使わなくてはいけなくなることもあるのです。

だから、先ほどの話ともつながりますが、家族や自由など、「“何者か”にならないほうが守れる、大切なもの」を持っている人は、“何者か”になることなんて目指さないほうがいいこともあるのです。
“何者か”になることより自分にとって大切なものを守ったほうが、その人にとっては、うんと幸せで価値がある場合もあるからです。

メディアに価値観を誘導されるのではなく、「自分にとっての幸せ」は、自分で考え、“自分の答え”を見つけていくことが重要なのです。

実は、世間から認められることを目指す人は、「“何者か”にならないと、自分には価値がない」と思い込んでしまっているところがあります。
そこには、どんな心情があるのでしょうか。次のページで紹介します。