“何者か”にならないと、価値がない?


「“何者か”にならないと、自分には価値がないのではないか」と勘違いしている人は、意外といます。そういう人がまずやったほうがいいことがあります。
それは、「自分をきちんと認められる人になること」です。
それができていないから、やたら“自分以外の人たち”からの評価を求めてしまうのです。

そもそも、“何者か”にならないと、その人は価値がないのでしょうか?
たとえば、世の中には、「高い志を持ち、世界が良くなることに尽力しつつも、世間から知られないままこの世を去った人」は少なからずいます。
そういう人は価値がないのでしょうか? そんなことはないはずです。
そういう志が高い人は、おそらく目先の「損得勘定」では動かないし、だからこそ、自分を誇れたし、魂を売らなかった分、幸せでいたはずです。

誰もが、「自分」という存在とずっと付き合っていかなくてはいけません。逆を言えば、嫌いな存在とずっと付き合っていくというのは、苦痛ですよね?
だからこそ、“自分が好きでいられるような(誇れる)自己”でいることが重要です。

なかには、「多くの人から認められるようになったら、自分のことを認められるようになる」と考えている人もいるでしょう。でも、そんな薄っぺらな自己肯定感は、すぐに崩れます。
「世間からの評価」なんてものは、ちょっと風が吹けば変わるようなところが多々あるからです。実際に、“流行の人やもの”は人気が長続きしないことが多いですしね。

だから、もっと根底の部分で自分を信頼し、認められる人になることが大切。むしろ、誰からも評価されなくても、自分は自己を信じられる人になることが大事なのです。

 


劣等感があるから、“何者か”になりたいことも


実は、“何者か”になることを目指す行為の背景には、「自分に対するコンプレックス」が隠れていることも少なくありません。

「自己肯定できないこと(自分が嫌いなこと)」、そして、「自分らしさ、自分の魅力が分からない状態でいること」は、苦しいものです。
だから、「“何者か”になって、人から評価される」ことで、自分のことをもっと認められるようになるのではないか、もっと心が楽になれるのではないか、と考え、さらに、自分が嫌いだからこそ、“自分とは違う別人”になって輝こうとしてしまうのかもしれません。

でも、それは解決策が間違っています。

・人からいい評価をされる→まずは自分が自己をきちんと認める
・“自分以外の人間”になって輝く→自分らしく輝く

前者より後者のほうが重要なのです。

おそらく、自己肯定することができるようになって、自分らしい魅力が出てきたら、わざわざ“何者か”になる必要性を感じなくなることも多いでしょう。そのときには、心が苦しくなくなっているからです。
さらに、それができるようになると、逆に、人からの評価にいい変化が出てくることも多いでしょう。

無理して、“何者か”になんてならなくていい! まずは、自分をよく知り、自分らしく輝き、自己を認められるようになりたいものですね。
 

 

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