お互いへの敬意がないところには性的同意はなく、男女の友情も生まれない


恋愛抜きの男女二人旅が成立するわけがないと思っている男性は「同じ宿に泊まるなら手を出すでしょ、普通」「セックスできる可能性ゼロなのにわざわざ女と旅行なんてするか?」という発想だからです。女性にも脳みそと意志があることを知らないんでしょうか。その“普通”って、男の本能でも男らしさの証でもなく、性暴力加害者の発想だよ。気付いてる?
こういう男性があまりにもありふれた存在だったからこそ、「男友達と二人旅って、え怖!」と警戒してしまう女性もいるのでしょう。

何を言っても「いやいや、男女の友情なんて絶対に成立しないって。どうせ一緒にいるうちに好きだとかやりたいとかって痴情のもつれになるんだから」と主張する人がいます。問題は、そこじゃない。友情が恋愛や性愛を伴うものになるのか否かは当人同士の問題だから一般論では語れません。それよりも、そもそも男女の間にはリスペクトと同意のある関係は成立し得ないという前提に立っている人があまりにも多いことにこそ、問題があるのです。

イラスト:shutterstock

私の息子たちが暮らすオーストラリアでは、性暴力対策として2023年度からハイスクールで性的同意に関する授業が必修化されることになりました。しかし教育専門家からは「それだけでは不十分だ。性暴力を減らすには、幼少期から他者に対して敬意をもって関わることを教える必要がある。その延長上に、性的同意の尊重の習慣づけがあるのだ」と指摘する声が上がっています。これには心から同意します。

 

「友達がいない」「異性との友情なんて無理」という悩みの根底には、そもそもの人との関わり方に歪みがあるのかもしれません。そんな心ない関わり方でないとサバイブできない殺伐とした世の中を、私たちは生きざるを得なかったという悲しみを禁じ得ません。
不安だらけの若者も、寂しいおじさんおばさんも、ジェンダーにこだわらずに新しい良き友人を作れるような、安心できる社会にしたいですね。
 

(※8/29記事の表現を一部修正しました。)

 


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