突然の訃報。父がプレゼントしてくれた、大切な一日


家族と離れ離れの生活も、はや3カ月。もちろんさみしく、早く帰りたい気持ちはやまやまですが、人間なんにでも慣れるものです。

いつものように息子にモーニングコールをしようとスマホを手に取ったところ、母からのLINEが。いつになく朝早いなあ、と思って見た私の目に、信じられない言葉が目に飛び込んできました。

「はるな、驚かないでね。父が夜中に急死しました」

予想だにしていなかった内容に、完全に固まってしまう私。なんの前触れもなく、動脈瘤が心臓で破裂し、即死に近い状態で逝ってしまったというのです。

あまりのことに呆然とし、ただただ泣いている私に、同室の40代女子が「外出できるかどうか、看護師さんに聞いてみなよ」と声をかけてくれました。

折りしも、コロナ禍で厳戒態勢が敷かれている医療現場。でも、ずっと会えていない父に、さようならも言えないなんてつらすぎる……!

涙ながら、ダメ元でお願いしたところ、なんと病院が特別に外出許可を出してくれました。いろいろな条件があったものの、姉に車で迎えに来てもらい、ドアツードアで、日帰りで向かうことに。

1年ぶりほどで会えた父は、本当に幸せそうな、穏やかな顔で眠っていました。父と話したのは、「こっちのことは心配するな」と言ってくれた電話が最後です。母が言うには、毎日「はるなは大丈夫か」と聞き、「リハビリ病院で、もう立てるようになっていますよ」と母が答えると「そうか、なら安心だな」と納得していたそう。

お父さん。最後まで、心配かけてごめんね。

ちゃんと顔を見ながら、直接お別れができたのは、病院のご厚意のおかげ。それができなかったら、私は一生悔やんでいたことでしょう。本当に、感謝しかありません。

一時外出後に隔離で移った個室から見える、隣接する公園の緑。木々の向こうに、息子のチームがよく利用する野球場がある。

かつては「ザ・昭和の亭主関白親父」だった父も、歳とともに丸く可愛らしくなり、近年は母が命!という状態でした。そんな父から、母を借りてしまったのも心苦しい……。母がうちに泊まっている夜中に、一人で逝かせずに本当によかった。

 

一時外出には、何かとかさばる車イスを置いて杖ででかけることにした私。退院前に外に出て、わずかな時間ながら家族と過ごせたのは大きな収穫でした。

退院して家に帰る前に、子どもたちが「今までとは違うお母さん」と接することができました。私も入院後に初めて実家で過ごしたことで、思ったよりちゃんと動けることを体感。退院後の不安が、少しなくなりました。

それもこれも、父の最後のプレゼントだったのでしょう。

退院に向けて、ますます頑張らなければ……! 断腸の思いで子どもたちに手を振って病院に戻りながら、そう決意を固める私でした。

>>次回は、料理・運転・仕事復帰に向けたリハビリについてです。


文/萩原はるな
写真/萩原はるな、Shutterstock
構成/宮島麻衣

 

 

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