新しいエッジで挑む、自身9度目の全日本
――ジャンプがしっくり来ているというのは、何か今までと変えた点があったんでしょうか。
エッジを変えました。ここ数年は「パターン99」を愛用していたんですけど、それを僕が使っている「JACKSON」という靴のメーカーさんが出している「マトリックス」に変えて。「マトリックス」はとにかく軽いんです。本来エッジが軽量化されるとジャンプは浮くけど、その分、スケーティングが押しにくくなるというデメリットがあって。でもこの「マトリックス」はジャンプも浮くしスケーティングも滑りやすくて、自分にはすごく合っていたんです。そこから感覚が変わりました。
あとは、オフから大学1〜2年生のときに見てもらっていたトレーナーさんに見てもらっていて。そこも影響はある気がします。
――トレーナーさんとはどんなトレーニングをされているんですか。
いつもオフシーズンは軽いトレーニングしかできていなかったんですけど、このオフシーズンからトレーナーさんについてもらって陸トレを増やしたり、しっかりしたものを毎週やってきました。そこで体の感覚が変わってきつつあるのは感じています。
あとはやっぱりケアですね。自分のコンディションに合わせて、今日はキツめのケアでお願いしますとか、しっかり意思疎通しながらやれているところが今までと違う点なのかなと。僕自身、自分のことをやっとわかってきたし、周りにも頼れるようになってきた。そのあたりの変化は自分でも実感しているところです。
――変化という意味では、昨シーズンから山田満知子先生のもとで練習をされています。ジャンプは基本的に山田先生に見てもらっているんですか。
そうですね。満知子先生と本郷裕子先生に見てもらっています。
――山田先生といえば、伊藤みどりさん、浅田真央さんなど日本を代表するスケーターを輩出してきた名伯楽です。
グランプリ東海に移ってちょうど1年ぐらいなんですけど、改めてやっぱり満知子先生はすごい方なんだなって感じています。先生はジャンプに対して甘えがない。綺麗に跳べるまで何回も練習をさせられるんです(笑)。僕だったら、1回綺麗に跳べたら次にいこうってなるんですけど、先生は体に染み込むまで何回でも繰り返させる。本当にキツいんですけど、体と脳が覚えるまで繰り返すというのは、ためになっている気がします。
――今まで培ったジャンプ技術に対して、さらにプラスアルファのものをもらうこともありますか。
そこは本郷先生に助けてもらっています。さっきのはちょっと腰がズレてたよとか、アクセルのフォアアウトが中に入りすぎていたよとか、技術的なことを細かく見てくださるんです。そこを注意するだけで跳べるようになるので、本郷先生のアドバイスを信じて練習しています。
気持ちの面で支えになってくれているのが、満知子先生ですね。満知子先生がその場にいるだけで、チームの空気がピリッとなる。その存在感に支えられていますし、僕もクラブでは最年長になるので、先生に全部を頼るのではなく、自分が先頭に立ってチームを引っ張っていけたらと考えるようになりました。
――7月に行われた全日本合宿では、新技である4回転フリップにも挑戦されていました。
新しいフリーの練習もあって、4回転フリップの練習はもう数ヶ月やってなかったんですけど、久しぶりにやってみたら逆に前よりいいものができたなという感触はありました。着氷できるけど回転不足か、回転は足りているけど両足着氷になる、というのが今の状態。ここからもっとレベルアップしていける余地は見えたので、シーズン中にも時間を見つけて挑戦していきたいと思っています。
――合宿では、スケート仲間のみなさんと楽しい時間も過ごせましたか。
そうですね。夜ご飯を食べた後に、ホテルのコンビニにミニサイズの人生ゲームが売ってたので、それを(友野)一希が買ってくれて、みんなで遊びました。
――お。誰が勝ったんですか。
それがですね、ミニサイズといっても結構長くて。みんな練習でお疲れだったのもあって、ゴールに辿り着くまでに飽きちゃって。「他のにしない?」って言って、携帯で『ワードウルフ』をしてました(笑)。
優しそうな目元を綻ばせながら近況を語ってくれた山本選手。その表情には、アスリートとして充実した毎日を送っている様子がうかがえます。けれど、そんな曇りのない境地に至るまでには、さまざまな困難がありました。
第2回は、「こういったレベルまで落ちたんだな」と自信を失ったあの日のこと、「今も正直ハンデを背負っている実感はあります」と明かすブランクのこと。そして、それでも尽きることのないスケート愛に迫ります。
山本草太(Sota Yamamoto)
2000年1月10日生まれ。大阪府岸和田市出身。6歳でスケートを始める。ジュニアグランプリファイナルで2年連続表彰台、世界ジュニア選手権で銅メダル、リレハンメルユース五輪で金メダルなどジュニア時代から華々しい成績を残すも、2016年3月、2度目の世界ジュニア選手権への出発当日の練習中に右足首を骨折。競技から遠ざかる。3度の手術を経て、2017年9月に競技復帰。以降、日本代表候補のひとりとして国内外の試合に出場し続けている。目標は、ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪出場。
Twitter:@ so_ta0110
Instagram:@ sota0110
取材・文/横川良明
構成/山崎 恵
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