占いとは不道徳。そう語る根拠こそ、石井ゆかりさんが占い続ける理由。


それが占いだろう、と否定的な人はまたも言うかもしれません。「誰が読んでもだいたいあたるようなことを言って信じさせる商売でしょう?」と。誰もが普遍的に心を寄せることができるもの、として、小説や映画と違って占いが批判されがちなのは、あたかも未来を預言するかのようにふるまい、他者を依存させ、判断力を低下させるおそれがあるから。占いや宗教による洗脳、というのは、とくに今、社会的に関心の向けられている大きな問題ですが、だからこそ石井さんはこれまで、わかりやすさをできる限り排除するかたちで、読み手が物事をとらえなおすきっかけとなるための占いを提示してきたのだな、ということもまた、本書を読んでいるとよくわかります。

十二星座の読み解きだけでなく、本書の後半には、星占いそのものを考察していくエッセイも収録されており、これもまた読み応えたっぷり。

〈占いというものは、そのしくみ上どうしても不道徳であり、人の倫(みち)にもとるのだ〉とあるように、石井さんは占いがあやういものだということを、十二分に自覚しています。なぜなら〈星占いには、一切の合理的・理性的・科学的根拠がな〉く、〈論理的には「自由意志」に背を向ける〉ものだからだと、はっきりと綴っていることに、読んでいて驚きました。石井さんも書いているとおり、星占いを統計学とする向きはあるし、何かしらの根拠がありそうだということが、占いを信じる理由になります(実際、私も占ってもらうときは、タロットカードのような偶然性の高いものより、四柱推命のような統計に基づいているとうたっているもののほうに惹かれます)。けれど石井さんは、それは違う、と言うのです。さらに、未来はあらかじめある程度決まっている、という前提のもと成り立っている占いは、人から自由意志と責任能力を奪いかねないものなのだ、とも。

 

そんなふうに否定的な印象を抱きながらも、なぜ、石井さんは日々、占うことをやめないのか。その理由を石井さんは、こう語っています。

〈私は、道徳的で倫理的なものだけがこの世に存在してもいい、ということではないと思っているから、それができる。私は、倫理や道徳という世界観には、「外側」があると思っているのだ。〉〈生活空間の外側、山のあなたのそら遠くから、鬼や妖精やサンタクロースとともに、占いはやってくる。特別な空間、特別な時間にたちあらわれて、人の生活をリフレッシュしていく。〉

 

 占いにすがりたくなるのは、努力ではどうにもならない苦境に面したときや、自分はこのまま一生たいした花を咲かせられないまま終わるのではないかというような、不安や絶望に駆られたとき。理不尽の理由、どん底から脱出できる希望を、見出したくて、占いを頼りたくなるのでしょう。そうして、星回りが悪いせいですね、半年後にはそれも終わるからじきに好転していくはずですよ、そう言ってもらうことで安堵し、どうにか今の苦しみをやりすごすことができる。あるいは逆に、物事がうまくいきすぎて怖いときに「この波に乗りましょう」と言ってもらえれば、背中を押されて一歩前に踏み出せるから。