5組のうち4組が離婚。原因は全て不倫!女王を最も苦しめた離婚とは?


さて、女王の長女であるアン王女も、最初の結婚において自らボディーガードと不倫していたことが一大スキャンダルとなっています。そこで離婚はしなかったものの、数年後に結局破局。ところがわずか6ヵ月後に別の男性と結婚しており、その変わり身の速さがまた国民から大きな批判を浴びることとなります。

一方、次男のアンドリュー王子の離婚は、妻であるサラ・ファーガソンの方の浮気がゴシップ誌に再三取り上げられたことが原因だったとされますが、のちにこのアンドリュー王子、大富豪が所有する島を舞台にした、少女たちに対する性虐待事件に関与していたとされ、示談が成立した今もその疑惑は晴れないまま。

かくして、長女も次男も代わる代わる世間を騒がせ、母親を失望させます。もはや原因を究明するような問題ではないのでしょうが、そうなってしまう背景を客観的に読み込むならば、それぞれ公務に忙しかったとしても、王位継承権の低い皇太子の兄弟たちは、人生において、危機感もない代わりに、強い使命感を持つことも難しいからこそ、いつの間にかこうしたスキャンダルに自ら身を投じてしまいがちなのかもしれない、そう思うのです。

エリザベス女王にしてみれば、それらを恥と感じていても、同時に女王として国に奉仕することに熱心なあまり、母親としての役割をどこかで怠ったかもしれないという後ろめたさがあったはず。だから、長男チャールズの問題を含め、子供たちがまっとうな結婚生活を送れないことを激しく責めるに至らなかったのかもしれません。

一方で、伝統と格式を重んじる英国王室に生きていればこそ、その枠からハミ出したいという、やむにやまれぬ感情をもってしまうこと、バランス感覚ある女王ならばちゃんと知っていたはず。そうした宿命に対する抵抗というものも理解していたからこそ、3人の離婚を甘んじて受け入れるしかなかった、そう考えることもできるはずです。

1993年、妹のマーガレット王女と。写真:ロイター/アフロ

ただ、妹マーガレット王女の離婚に対して、女王はこれとは全く違う感慨を持っていたと思われます。
よく知られているように、マーガレット王女は初恋の人である16歳年上の軍人との結婚を望みましたが、彼が“離婚経験者”であったことを理由に、議会や教会は「結婚するなら王位継承権や王室メンバーとしての年金まで剝奪する」と決め、姉である女王もそれに従うしかありませんでした。かくして苦渋の選択をしたマーガレット王女は、その時から人柄が変わったとさえ言われたのです。

 

その5年後に著名なカメラマンとの結婚を果たすものの、彼は次々に浮名を流し、王女も夜な夜なナイトクラブに通い、復讐のように不倫を繰り返して自暴自棄な生き方となっていき、結局この結婚は破綻します。
エリザベス女王はそうした妹を常に不憫に思い、自分が議会の決定に抵抗できなかったことを悔み、自責の念にとらわれていたと言われます。

愛する者同士を無理矢理引き離したという女王の苦しみは、妹の荒れた生活を見るたびに蘇ってきたはず。おそらくは自分の子供たちの愛のない結婚離婚よりも、妹マーガレットの本気の恋と悲劇的な結末、またその結果のお互い傷つけ合うような結婚離婚こそ、女王を最も苦しめたと考えてもいいのではないでしょうか。


ダイアナ妃の追悼をためらった女王は、本当は冷酷な人なのか?

1991年10月31日。THE QUEEN AND THE PRINCESS OF WALES ARRIVING AT THE STATE OPENING OFPARLIAMENT -91. (Express Newspapers Via AP Images) 写真:AP/アフロ

かくして、不倫だらけ、離婚だらけ、そんな愛憎と欺瞞に満ちたファミリーの中にあって、奇跡的に心の平静を保ち、それぞれへ注意深く配慮してきたエリザベス女王が、いかに穏やかで愛情深い人であるか、改めて思い知ることになるはずです。

ダイアナ元妃が不慮の死を遂げた時、追悼の意を示すのが遅かったことで国民の批判を浴び、冷酷な人であるとの見方もありました。でも、今改めて女王の立場で事の顛末を振り返ると、いきなり事故自体が王室の仕業ではないかという噂も出る中で、単にダイアナ妃の人気におもねるような事はしたくなかったということなのかもしれません。極めて冷静で公平な人だったと言うべきなのでしょう。

王室も含めた貴族社会においては歴史的にそれこそ「不倫は文化」、何不自由ない平和すぎる暮らしのエッセンスとして、やはり必要悪的なものだったのだろうし、狭い王室の中では誰か一人が優遇されたり、一人に人気が集中したり、そういうことが必要以上に激しい嫉妬を生むことになります。
エリザベス女王は、そうした王室の不条理を全て踏まえた判断をしていたからこそ、時に不倫も容認し、ファミリー全員を嫉妬させていたダイアナ妃をたしなめたかったのだろうし、王位継承権が低い者たちの気持ちをおもんぱかる場面も多かったのでしょう。

すべてを解っていた人……ちょっとダライ・ラマのような。明らかに一国の女王という立場を超えて、知らず知らず多くの人の精神的な支えとなってきたはずだし、ただその姿を目にするだけで、人々の心を落ち着かせるような神聖な存在となっていたのは確か。年齢を重ねるほどに、そうしたオーラを強くしていく特別な人でした。それが、遠い国の私たちもある種の本能で感じとれるから、世界中で喪失感が強いのかもしれません。
大きな母のような人の、ご冥福を祈ります。