元夫の意外な正体


「彼女は昔の同級生かなんかで、結婚して名字も風体も変わっている。このみ、っていう響きに覚えはありませんか? 漢字で好美とか。ろくに記憶にないような知人が、おとなしい紗季さんをわざわざ訪ねてくるなんて、マルチビジネスの勧誘とかその類ですよ」

「うう、なんかそう断定されるとそれはそれで切ないけど……そうかもしれないわねえ」

紗季がため息をつくと、美加と玲子がしんから同情したように慰めにかかる。

「元気出して紗季さん! バツイチアラフォーで人見知りとは言え、紗季さんは美人なんだから、もっとこう攻めていきましょうよ!」

「そうですよ。紗季さんは人が良すぎなんです。元旦那さん、結婚早々に紗季さんが自分の会社の受付で働くように仕向けておいて、自分は部署の一般職や派遣さんと見せつけるように浮気してたんですよね!? サイコパス夫ですよ、そんな男のために残りの人生クヨクヨして過ごすつもりですか!?」

玲子が叫ぶと、美加がぎょっとしたように中腰になる。

「え! 紗季さんの元夫って、この会社のひとなんですか!? 部署はどこ!? 本社に高梨さんていう男性いました!? あ、名前違う?」

なぜか大興奮の美加に、紗季は苦笑しながら首を振る。

「実はね……私、戸籍上は本当の名前、秋元紗季なんだ。でも通称ってことで、勤め始めたときのまま高梨を名乗ってるの。元夫は、数年前から中東に駐在してるから、美加ちゃんは取り次いだことないと思うよ」

 

スタッフの中で新参者の美加は、ますます目を白黒させている。元夫のことを黙っていたことで気を悪くしたのかな、と紗季が心配し始めると、美加が予想外に目をキラキラさせて叫んだ。

「すっごい! 紗季さん、この会社の商社マンときたら、婚活市場の頂上決戦ですよ! 女として最高の戦利品を手にしたってことです。羨ましい……! 尊敬です! 

私、どうしてもこの会社の人と結婚したくて潜り込んだのに、ひどいわ、ここの受付って人事部が目を光らせていて、隔離されてますよね。全然飲み会に行くチャンスがないんだもの。紗季さん、元旦那さんの同僚、紹介してください!」

「い、いやいや、でもね、離婚してるからね。しかも、数年しかもたなかったのよ……。紹介してあげたいけど、さっぱり連絡取ってないし」

 

紗季の言葉は美加には響かないようで、興奮は収まらない。いくらか年上で、銀行員の夫を持つ玲子が、呆れたようにたしなめた。

「美加ちゃん、よくそんなふうに商社マンに夢が見られるわねえ。そりゃあみんな優秀で、素敵な人もいるけど、信じられないくらい女癖が悪いパターン、一杯みたじゃないの。銀座の女の子から普通のOLまで、いろんな子が『彼と連絡がつかなくなった』って受付に必死の形相で来るの何度も見たでしょ? 会社は結局社員を守るし、私すっかり幻滅しちゃった」

「玲子さんたら、そんなのは些末なことです! この会社の駐在手当や家族手当の額、ご存知ですか? もしも家族が帯同しなかった場合も、途方もない手当がつくんですよ!? そりゃあ外資系投資銀行なんかの人と比べれば落ちるかもしれないけど、私みたいな普通のちょっとかわいい子には、やっぱり商社マンが数からいっても現実的な目指すべきゴールなんです」

「……なるほど。なんか納得したわ」

玲子と紗季は、うんうん、と感心して美加を眺める。さすが平成生まれ、現実を見つつきちんと作戦を立てている。

「だから、なんとなくぴんとくるんですよ。あの前田このみって子、私と同じ匂いがする。きっと商社マンと結婚したい子だと思うんです。しかも、私なんかよりずっと、切実に」