「ひとりっ子の女の子」は、父親の度量が成長のカギ


女の子の場合、男の子より精神年齢が高く、ひとりっ子であっても自分の世界観を構築しようとします。親子で仲良くしながらも、自分の世界を模索しているので、母親とも父親とも共依存になるようなことはめったにありません。

大人になってからの「母娘共依存」が最近注目されていますが、自立しようともがいている子どもの頃は、むしろ、親よりも友だちのほうに依存していくのが女の子です。

このように、大人っぽい賢さを持ち合わせているひとりっ子の女の子を伸ばすには、父親の度量が決め手になります。

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ジェンダーフリーの時代、言うまでもなく女性の社会進出機会は増えていきます。そうした中にあって、親が男女平等の価値観でその子に期待してあげるのか、それとも「女の子なんだから無理しなくていい」と、枠にはめてしまうのかが問われるのです。

私の目から見ても、今は、伝統的な女性教育の枠を超えている優秀な女の子が増えています。そんな女の子を世界に通用する人間に育てようと、ガンガン教育している親も増えています。

 


女の子にも「競争させる」ことを避けないこと


ところが、ゆくゆくは東大に入れるような子でも、親が「女の子なら、大学は慶應や上智あたりがいいんじゃないか」と決めてしまうケースが未だにあります。あるいは、最初から「ほどほどで」と、競争させることを避け無難にまとめようとします。

そして、そういう判断を下すのは、父親であることが多いのです。もちろん、それは我が子を思ってのことです。ただ、親の世代が考える女の子の幸せのあり方と、子どもの幸せの定義がずれてしまっているとしたら残念なことです。

一方で、ものすごく伸びて超難関校を突破していくような女の子は、父親が「視野の広い教育熱心さ」を持っています。

女の子は男の子よりも器用ですから、目の前の課題に上手く対応していける能力を持っています。だから、親が教育熱心に毎日の学習をサポートしていれば目先の偏差値は上がります。しかし、それだけではなく、将来どうあってほしいかを考えた上で、長い目で見ていく教育熱心さが必要なのです。

言ってみれば、女の子に対して父親が庇護力を発揮するだけでなく、先々の人生を見据えた「共感力」を持って応援してあげると、それを独り占めできているひとりっ子の場合、大化けに近い伸び方をします。