時代の潮目を迎えた今、自分ごととして考えたい社会問題について小島慶子さんが取り上げます。

「感動をもらう」という言い方が苦手です。「感動をありがとう」も。大きなスポーツイベントや恒例の特別番組なんかで非常によく聞かれるフレーズですね。街頭インタビューでも頻出します。120%善意で言っているのはわかっています。活躍したアスリートやアーティストには心からの敬意を払います。けど、感動って、勝手にするものではないですか? しようとも思わないのに、感動してしまうものですよね。感動は誰かにもらうものではなくて、自分の感覚や感情や記憶が、なんらかの刺激に対して複雑に反応して発生するものです。素晴らしい誰かに出会うから感動できるのではなくて、感動できる心があるからその人の素晴らしさがわかるのです。

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先日ラジオでこの「感動をもらう」「感動をありがとう」が引っかかるという話をしたら、共演しているライターの武田砂鉄さんが激しく同意してくれました。そのとき砂鉄さんが言った、感動を「食べに行く」というのが絶妙な表現だと思ったので、ご本人に了解を得た上でここに記しておきます。

 

食べに行く。ぱくぱく、ぱくぱく。頑張っている誰かの姿を、お腹いっぱい食べ尽くす。またお腹を空かせては、感動を探し回る。ねえねえ、腹ペコだよ。私を感動させて。そんなんじゃ感動できないよ、もっと美味しいの出して。