勤務先に「流産した」と言えなかった


東京への引っ越しが落ち着き、体調が整ったところで、雪美さんは二度目の体外受精をされました。

「どきどきしながら結果を待ちましたが、また陽性となり、このときは夫婦揃って大喜び。今回はきっと大丈夫だと思うようにして、私はなるべく普段通りの生活を過ごしていました。もともと人と接することが好きなので、久しぶりの仕事は楽しく、仕事中は余計な不安に襲われずに済みました。通訳の仕事は私に指名が入るようになったりして、やりがいも感じていたんです。

あの日も、『ぜひ雪美さんにお願いしたい』と、いつもより重要な通訳な仕事が入っていました。なのに、あの日に限って……。仕事に向かう電車の中で、突然お腹に激痛が走ったんです」

尋常ではない痛みを感じた雪美さんは、這うように電車を降り、やっとのことで近場のトイレに飛び込みました。

そしてロングコートを脱いだ瞬間、ご自身の下腹部を目にして愕然。

履いていたパンツスーツがぐっしょりと赤黒く染まるほど、雪美さんはすでに大量出血していたのです。

「このときはまだ赤ちゃんの心拍も確認できていない妊娠初期でしたが、とにかく物凄い量の出血が止まらずに焦りました。痛みと焦りで一人パニックになる中、なんとか仕事先に電話を入れましたが、『今流産しました』なんて咄嗟に言える状態ではありません。急な体調不良と伝え、要はドタキャンです……。

痛いのと、悲しいのと、焦りと……いろんな感情がごちゃ混ぜになりながら、トイレットペーパーをぐるぐる身体に巻きつけて、またコートを羽織ってタクシーで何とか病院へ直行しました。あれが夏で、コートがなかったら……どうなってたんだろう、私」

笑顔を崩さずにお話ししてくれた雪美さんですが、当時はたった一人でどれだけ大変だったのか、想像を絶します。 

 

その後、仕事先から直前のキャンセルについて改めて厳重注意を受けてしまったそうですが、雪美さんは真相を伝えることはできず、ただ「本当に申し訳ございません。以後、体調管理は気をつけます」と謝罪を繰り返したそうです。

「当たり前ですが、仕事の担当者は私に失望し、信用を失ったことがわかりました。実はあのとき流産したんです、と言いそうにもなりましたが、すると気を遣わせてしまうのも申し訳なく、結局は言えませんでしたね……」

 

不妊治療や妊娠初期。雪美さんに限らず、働く女性はこうしたとき、職場とどう付き合うのが正解なのか、改めて考えさせられます。

よほどの信頼関係を築いていれば、不妊治療や妊娠初期であることを身近な人に告げ、緊急時は遠慮なく対応してもらうのが良いのかもしれません。けれど、周囲に気を遣わせてしまうことや、また先が見えない状態で事情を打ち明けるのを躊躇う人も多いと思います。

「このときも本当に落ち込みましたが、幸い受精卵はまだ残っているし、そもそも2度も受精卵が着床して妊娠反応が出たのは、ある意味すごいことです。だからあまり落ち込みすぎるのはやめようと夫に励まされ、次こそきっと上手くいくと信じ、3度目の体外受精をしました」

……しかしながら結果は、2回目と同じく、陽性反応は出たものの、再び流産となってしまったのです。

「このときは極力で安静にしていましたが、やはり突然腹痛が起こり、自宅のトイレで出血が始まりました」