防衛費を増やさないと外交は難しい、そんな考えが招く火種


今年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻、そして台湾や日本周辺をめぐる中国の動きへの警戒感が高まっていることを受け、今盛んに「国民の命を守るために国防力の強化を。防衛費を増やさなくてはいけないのは自明の理」と語られています。第二次世界大戦後77年、「戦争で人を殺さず、殺されもしない国」でありつづけたことによって、世界から信頼を得てきた日本。だからこそ紛争の調停や平和維持活動にあたって、当事国の人々が耳を傾けてくれたといいます。

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しかし、いま「敵基地攻撃能力の保有」という歴史的な大転換が行われようとしています。政府は「敵基地“反撃”能力」と表記し、あくまでも敵が攻撃に着手した時点で、相手の基地を叩くことができるようにする自衛のためのものと説明。しかし実際には、攻撃対象が敵基地以外の領域にも拡大しかねないことや、集団的自衛権の行使によって他国の戦争のために敵基地攻撃能力が行使されかねない危険性が指摘されています。そんな重大な決定が国民に丁寧な説明もないままに下されようとしている中、世論調査では肯定的な意見が6割を超えています。敵基地反撃能力の保有は戦争の抑止力になると政府は説明していますが、北朝鮮ではこうした動きを警戒してミサイル発射実験が行われました。

 

過去の歴史が示しているように、軍事力を高める示威行為は軍拡競争を招き、思わぬ火種となりかねません。こういう話をすると決まって「そんな発想はお花畑だ。外交は防衛力あってこそ」と冷笑する人がいますが、だからこそ「軍拡以外の方法で戦争をしないで済む知恵を」と言い続けなければなりません。国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子さんに尋ねたことがあります。「緒方さん、世界から戦争をなくすことは本当にできるのでしょうか」緒方さんは少し考えてこうおっしゃいました。「現実的には、世界から戦争を完全になくすのは難しいでしょう。でも、戦争をなくすことができると本気で信じる人にしか、世界を変えることはできません」これが、実際に紛争の現場に立っていた人の言葉です。どうせ戦争はなくならないという態度では、一歩ずつでも戦争のない世界に近づける努力はなされ得ないのです。それによって確実に救われる命があるにもかかわらず。それどころか、安易に武力行使へと踏み出すことにもなりかねません。